開かれた門を見たらその次には
文学的比喩やレトリックの中には、その時代や文化を共有する相手にでなければ通じない、というものがある。テクニックではなくても、肝を潰すような体験をしたときに、それがどんなものかを表現するとなると、当時の人々にも満足に伝わらなかった可能性がある。いやさ、その怪物ときたら、熊のようなからだつきで、目はキツネ、足は象みたいだったんだが……などと、しどろもどろに説明しても、相手はきょとんとしてしまうだろう。
自分の知っている語彙で、精一杯表現しようともがくのである。その表現だけが文字で遺っていたとして、その文字を見た後の者が、当人の見たのはどういうものであったか、それを再構成することができるだろうか。無理である。事象から言葉に変換され、その言葉から素の事象を再現するというのは、原理的にもできないはずである。
黙示録を読んで、クリアな説明を欲したところで、以上のようなからくりがあるために、失敗するのがオチである。黙示録を書いた人は何を見たのだろう、という謎解きは楽しいものであるかもしれないが、解明できるという望みをもつものではないだろう。
文化には疎い者で、「シャルトル大聖堂」と言われてもピンとこなかった。調べてみると、いやはや、なんという美しさであろうか。息を呑むような光の芸術だ。説教の初めのステンドグラスの話は、教会の外から光が射す、ということに気づかせるものだったのだろうか。外からの光を受けなければ、美しさや素晴らしさというものは分からない。教会の中は暗い。外の光は眩しい。人の内には罪がある。だが、神からの光はなんと美しいのだろう。
黙示録の連続説教は、4章に入った。「その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった」(4:1)という舞台設定が、説教の門前に掲げられる。聖書協会共同訳では「開かれた扉」と変えられている。説教が先ず釘を刺すのは、これが「死後の世界ではない」ということだった。あなたがたは、これを見たことがあるのではないか、そのように会衆に問う。しかも、礼拝の中で、見たことがないか、とくる。
そう問いつつ、こういうことを「ニヒル」に考えない方がよい、という言葉が零れてきたときには、私は思わず声を出して笑いそうになった。ずいぶん久しぶりに聞いた言葉だったからだ。ラテン語を基にするのか、「虚無感」を伴うニヤリとした笑みが頭に浮かんだ。
ともあれ、「開かれた門」というものが、如何にも天国の入口のようなイメージで捉えられてしまった、確かにそれはもったいない。説教の要は、やはりそこだったと思う。いつか彼方で、というあり方をするものではないし、そういう経験の仕方をするべきものでもない。ヨハネが見出した「開かれた門」は、「いまここに」あるのだ。「いまここで」知ることができるものなのだ。ここから後に続く宝石や長老の姿、玉座におられる方をなんとも表しきれないもどかしさの中で、なんとか伝えようとするそのヨハネなりの、しどろもどろの説明であったかもしれないが、それは将来的な希望として掲げるだけのものではない。あなたがたは、礼拝や祈りの中で、すでに体験することができているのではないか、と自問させたのである。
自分のことを必要以上に長々と書かないにしても、私が求めて初めて足を踏み入れた教会というところは、怪しさのあるところだった。どうも聖書とは違う、ということでそこから逃れて訪ねた教会は、聖書を語るところだった。だがあるとき、ローマ書からのメッセージで、私の中にあった引っかかりが、ストンと落ちた。ああ、そうなんだ、と腑に落ちた。それはささやかであったかもしれないが、説教者が問うた、「開かれた門」の体験と比較することができるものだったと思っている。確かにその経験は、理屈に基づくものではなかった。
加賀乙彦さんが、今年2023年初めに亡くなった。60歳を前にして、神父の許に3日間通い詰めて、聖書についての質問を重ねたが、最後には尋ねることがなくなって、カトリック信仰を受け容れて洗礼を受けた、という話はテレビでも紹介され、有名である。本当の信仰のポイントはやはり言葉にならないところにあったものと思うが、それでも、見た目については、理屈や納得という形を経て、信仰に入ったようなものである。もちろん、それも悪くない。だが、そうした理解ということよりも、なんだか圧倒するものが信仰の道にはある、説教者はそうした点を強調していた。納得して信じてはならない、と言っているのではない。フランスのシャルトル大聖堂のステンドグラスを前にして、その圧倒的な力や美しさによって言葉をなくし、魂を呑み込まれてしまったような体験をすることがあるように、あの「開かれた門」を前にして、立ち尽くし震えるような感動を、私たちは味わうことが許されているのだ、と説教者は伝えたかったのではないか、と私は感じた。
説教は、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスの名前を示した。ヨハネの黙示録が書かれた頃かその執筆に、少なからぬ影響を与えたであろう皇帝である。呼ばせたか呼ばれたか、「われらの主、神」と称された皇帝だったという。説教者はこれをヒトラーに比したが、私たちの社会の危うさというものを教える歴史であることは確かだ。人は神ではない。人を神としてはならない。それが、ここでのメッセージの主眼である。
地理的にも時代的にも遠いローマ時代だけの問題ではない。天皇を「神」としていたのは身近なところである。もちろんそこにある「神」概念は同じではないが、構造的にさほど違うようには思えない。いまなお、8月15日の天皇の肉声を以て戦争が終わった、と信じ込んでいる人が多いのは、いまなお天皇を「神」と受け容れていることのひとつの現象であろう。戦後しばらくは15日という日付は重視されていなかったにも拘わらず、その後の政府の主導により、いつしか15日こそが終戦だと信じられていくようになった。天皇制に反対するというキリスト者グループも、結局それに簡単に丸め込まれていることを思うと、如何にその縛りが強いかということを思わされる。きっと当時は、ローマ皇帝の崇拝も、さも当然という世の中であったことだろう。
ローマ皇帝を「われらの主、神」と呼ぶのが当然だった社会の中で読まれていたことを思うと、あのヨハネによる福音書のトマスの言葉の意味が、生き生きと伝わってくる。
20:26 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
皇帝崇拝への抵抗でもあっただろうし、キリスト者の信仰の表明でもあったものと思われる。今風に言えばパロディだとも呼べようが、その時はそういうゆとりのあるものではなかったことだろう。
説教者は、真摯な抵抗者として、矢内原忠雄の名を挙げた。盧溝橋事件直後に発表した「国家の理想」という論文が物議を醸し、いわゆる「矢内原事件」としてその後辞職するに至った。戦後、南原繁の後任として東京大学総長に任ぜられる。2023年の春に、新潮新書から『東京大学の式辞』が発行され、そこに南原繁らと共に、矢内原忠雄の言葉と考えが紹介されている。とても面白い本だったので、お薦めできる。矢内原忠雄先生の「聖書講義」が、古書店でたくさん並んでいて、しかも手頃な価格だったので、私はごっそり買い求め、読ませて戴いたことがある。
「我らは地によつて天を見ず、天によつて地を見る」という矢内原忠雄の言葉も引用された。これも「聖書講義」にある文である。「地」とはもちろん人間一般であり、人間社会でもあるだろう。だが、私は、この「地」という語に、私自身を重ねる思いも抱いていた。自分の観点が神の思いに違いない、そのような錯覚が、地上の教会や信徒の中に、しばしば見られることを思うためである。もちろん私の中にもその罠がある。だが、基準は自分にあるのではない。常に神にある。自分はその基準により判定される側にしかいない。そう弁えなければならない、と考えている。
また、先の講義には、「我らは地によつて天を見ず、天によつて地を見る」という文に続いて、「天が我らの人生の立脚点であり、我らが世界の状態を見る監視哨である」とも書かれている。説教者は解説はあまり入れなかったが、「監視哨(しょう)」とは今の私たちには分かりにくい言葉である。戦場の用語で「見張り場」のことである。「見張り」というと、イザヤ書には、ぶどう畑や夜警を含め、見張りについて幾度も触れられている箇所がある。しかしまた、エゼキエル書で、見張りの使命というものは、やはり私たちには印象的であろう。見張りが警告を発していなかったら、仲間がやられたらその責任を負うこと、だから警告を発することが大切だ、という件である。
これらの見張りは、もちろん敵に対しての見張りである。世に対する見張りの役目が、キリスト者には確かにある。すべてのキリスト者にはなかなか課せられないとは思うのだが、そのような役割に担う者は確かにいると思う。それは噛みしめたい。だが一方、私は自分自身に対する見張りが第一ではないか、というように自ら問いかけることにもしている。「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある」(箴言4:23)という戒めは、蔑ろにしてはならないと思うからである。
なお、蛇足であるが、今回の内容について調べているときに、加藤常昭先生が長く牧会した鎌倉雪ノ下教会で2年前に語られた説教が、同じ黙示録4章を掲げ、ドミティアヌス帝の先の称号と、矢内原忠雄先生のこの天と地、並びに監視哨のことについて挙げている。偶然なのかどうか分からないが、私たちがよくよく心してかからなければならない問題であることを思わされる次第である。