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キリスト者の心構え

コロサイ3:12-17 
 
「あなたがたはキリストと共に復活された」(3:1)のだから。ここから始まる章では、「だから」が効果的に使われています。こうせよ、こうしてはならない、このようにイエス・キリストよ、との指針が次々と登場します。キリスト者にとり、さしあたり参考になることが多い箇所です。生活の指針に用いたい言葉にたくさん出会います。
 
「神に選ばれた者、聖なる、愛されている者」と呼ばれていますから、結局は「赦し合いなさい」というところへ行き着きます。主があなたを赦したからです。赦したその上に、「愛」があります。愛を身に着けよ、と促します。「愛はすべてを完全に結ぶ帯」なのです。直訳では「完全さの帯」と読み取れます。教会もまたこの帯で繋がっています。
 
一人ひとりがその帯の一部となって教会が形成されているのです。その私たちの心の内には、「平和」があります。あるいは「平安」とも訳せます。日本語で区別するほど、これらは違っているのではないと思います。しかしここでは「キリストの平和」と呼ばれていますから、やはり「の」の取り扱い方には気をつけなければなりません。
 
愛も平和もキリスト由来であることに変わりはありません。「一つの体」となっているということは、教会としての一致を表していると見るべきでしょう。「感謝する」人であれ、と謂いますが、その内には「キリストの言葉」が豊かに宿っていることが願われています。教会は、キリストの言葉によって命が与えられるからです。
 
礼拝で語られる言葉が如何に大切であるか、が伝わってきます。教会では、教え合うことでしょう。知恵を尽くすことが望まれます。それから「心から」歌うのです。「詩と賛美と霊の歌」がそこに響きます。これらの歌の何がどう違うか、そんなことは問題にしていません。私たちはただ歌うのです。神に向かって声を挙げるのです。
 
教会は賛美に溢れているところでありたいものです。その上で、私たちの言動は「すべて主イエスの名によって行」うべきです。「すべて」ということに、ここで始めに並べられた「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」が根拠として働いているはずです。さらに赦すこと、そして感謝すること、これらが印象的に聞こえてきます。

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