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ボアズの言葉

ルツ2:8-13 
 
何もかも聞いています。ボアズはルツのことをよく知っていたのでした。畑に来たボアズの住まいは町にあるのでしょうか。その農地の持ち主です。一人の娘を見かけたとき、関心をもちました。落ち穂拾いをするのは律法の規定にもありますから不思議ではないのですが、ボアズの目に止まる何かをルツはもっていたに違いありません。美しさでしょうか。
 
畑の監督者に女の素性を尋ねますが、それが町で噂の、あの帰還者ナオミの連れてきたモアブの娘だということと結びつきます。ナオミと自分との関係を、ボアズが知らないはずがありません。一瞬のうちに、かの美しい女性と自分との間のつながりについて計算が始まりました。それならここでかくまうべきとの判断は、決して突飛なものではありません。
 
この物語は、ボアズの思惑というものが次々と表に出て行くことになるのですが、その言動からして、男として考えていたことが想定可能な範囲にことも見てとれます。ただ、ボアズの風貌も年齢層すら分かりません。そもそも聖書の文化では、人物の外見的な描写も年齢も、殆ど関心がないとでも言わんばかりに、描写をしないのが普通です。
 
私たちの描き方と余りに違うので戸惑いますが、このポアズにしても、そもそも独身であるのなら、なんとも不自然です。これだけの財をなしている立派な男がその年齢を想定するにあたり、独身だなどと言えるのでしょうか。もう年配で、妻を亡くしたのでしょうか。聖書はそうした背景を一切説明しようとしません。どうでもよいことであるかのように。
 
「私はよそ者なのに」とルツは、ボアズの親切に対して返答します。女としての警戒はなかったのでしょうか。それともルツ自信、ボアズに惹かれる気持ちがあったのでしょうか。その後のルツの動きを見ると、それも必ずしも想像過剰だと言えないような気がするのですが。いずれにしても、何もかもが謎のままです。
 
よそ者、それは外国人という意味でもありますが、私たちの社会でもこのストレンジャーをどう迎えるか、どう接する可、課題となります。一人ひとり互いによそ者であるに過ぎないとする見方もあるような世の中です。あるいはこの世は自分の本来的な故郷ではないという意味で、地上で「よそ者」と自称することもありうるような気がします。

ボアズの、ルツに対する関心は、どうやら半端ない様子です。ルツは礼儀正しく返答しましたが、やはりこれは、生活のために喜んだというのが、本当のところではなかったかと思いたいものです。とにかくこれだけの厚意は、ルツが生きていくための神の恵みであったはずです。ボアズの言葉は、私たちにも、神の愛のように聞こえてこないでしょうか。

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