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人間の暴虐を知る

詩編119:129-136 
 
長大な詩は、8節毎のまとまりをもっています。それがアルファベット22文字に対応して構成されています。その一つのまとまりを見ます。前半と後半とでは、ずいぶん空気が異なります。「あなたの言葉が開かれると光が射し/無知な者にも悟りを与えます」という句は特に有名で、信じる者の心に光を与え続けてきました。
 
主の言葉が光となって及ぶことを意識されてきたのです。だから詩人は、主の言葉を求めて、それに従うことを誓います。しかしこれは、幸せな気分でいることを意味するものではありませんでした。「私の方を向き、憐れんでください」と詩人は喘ぎます。いま不幸を覚えているのです。何故でしょうか。それが、後半に明かされます。
 
「どのような悪にも私を支配させないでください」との神への祈りは、揺らぎ倒されそうな自分を守り支えてほしい、という思いを窺わせます。決して自分は万全ではないのです。むしろ弱さを覚えて仕方がなかったのです。もしそこに主の助けがなかったら、悪に負け、悪の力に屈してしまう自分を感じていたのでした。人間とは、そういうものです。
 
「人間の暴虐から私を贖ってください」との祈りからは、詩人の苦悩が次々となだれこんできます。ただの「暴虐」ではなく、「人間の暴虐」と表現されています。そこに二つの風景が見えます。一つは具体的な「人間」の存在。なんとなくの力や精神的な影響を恐れているのではありません。現実の力が差し迫っているのをひしひしと感じているのです。
 
もう一つは、この苦しみは人間からのものであって、神からのものではない、ということです。神よ、どうして。こういう問いは切実であり、真摯なものです。しかし、神の権威を示しているようでありながら、神への信頼には綻びが生じているかもしれまないことを表しています。詩人の涙は、人間へ向けられます。彼らがどうか救われるように、と。

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