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エルサレムと最後の預言
ルカ2:22-35
イエスの両親は、律法に従いました。「清めの期間」の後、エルサレム神殿へ、生まれた子を連れて行きます。人口登録の旅は、とんだ長居となりました。律法に則るというところにも注目すべきですが、「両親」、そしてこの後「父と母」と描かれてあるところも見たいと思います。その上で、唯ひとり「母マリア」に向かってシメオンが言います。
「剣があなたの魂さえも刺し貫くでしょう。」イエスの運命について、「正しい人」シメオンには、神から何かが伝えられていたということなのでしょう。「メシア」であるとの確信と共に、「イスラエルの栄光」の「しるし」であることが分かっていたのです。幼子イエスと神殿という巡り合わせが、ルカにとり大きな意味があることなのでした。
つまり、イエスがここで初めてエルサレム神殿へと来たことになるのです。「神殿」と明記されていることと、それらが「律法」に基づいてのものであることが、目を惹きます。イエスはこの後、十二歳にて再びエルサレムに、過越祭のために訪れます。そうして二十年ほどの時を経て、ひたすらエルサレムを目指す、最後の旅をするのです。
マタイ伝のイエスには、このエルサレムの場面が描かれません。ルカ伝だけが、イエスとエルサレムの三度の関わりを強調しています。そしてその初回を、いま味わっています。貧しい部類の夫婦がいます。マリアは少女です。父ヨセフの子とは言えず、聖霊により身籠もったわけで、ヨセフとマリアは「両親」であり、「父と母」と称されています。
二人は主の律法に従い、男児を神殿で聖別し、規定のいけにえを献げます。シメオンは、普段はいないエルサレムに偶々居たようです。この時の故に、神に呼ばれたのです。シメオンには「聖霊」が留まっていました。新約聖書で預言の言葉が載せられているのは、洗礼者ヨハネを別とすれば、これが最後です。「救い」と「イスラエルの栄光」で結びつつ。