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イエスの後に従え、ただし主があなたを担う

ヘンリ・ナウエンの『老い――人生の完成へ』からの言葉をいくつか紹介しながら、説教が始まる。明日は祝日「敬老の日」。比較的新しい祝日だが、いまの子どもは祝日についてあまり教えられていない。あるいは、興味がないのか、驚くほど意識していない。せめて敬老の心くらいは、一年中弁えていてほしいと願う。
 
それにしても、教会員の中で80歳以上の方がそれほどにもいらっしゃるとは。数はここで明かさないが、この分だと、医療制度上の「後期高齢者」たる75歳以上になると、どれほどの方がいらっしゃるのだろうか。ただ、その方々が、たんに高齢である、というだけの存在ではないのが、教会というところである。教会での高齢者は、それだけで説教者であるという辺りを、深いところを見る眼差しで語ってくれた。
 
聖書には、たとえば箴言にも、高齢者を敬うべきことが記されている。もちろん、儒教文化のそれとはまた違う。そもそも聖書時代に、高齢の方が、社会の中でどのくらいを占め、どのようなスタンスにいて、どのような目で実際のところ見られていたのか、については私は分からない。そこに生きていた人の言葉がこうして遺っているのだが、そこから過去を再構成することは難しいし、その当時の人々の息吹を感じることはできない。
 
さて、老いという問題は、当然「死」をどう受け止めるか、という問題と直結する。新約聖書では、肉体という地上の幕屋から出発する旅のように捉えていることがあるという。それを喜び・感謝・希望という概念で包もうとした説教者は、聖書への信頼が本当に篤いのだと思う。ハイデガーが、いくら死を先取りして捉え、そこへ至るまでの時間を意識して深い人生を送ろうではないか、のように聞こえることを言ったとしても、ある意味で聖書の根幹の焼き直しのようなところがあると言えるだろう。死という一線を超えたところに、永遠があるのだ、という信仰の思いは、詭弁で証明するべきものではなく、まさに「信」の出来事なのであろう。
 
テモテへの手紙の第二は、パウロが死を目の前に強く意識してのものだと言われる。第4章には、「私は、闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」という自負がある。否、それは自画自賛のようなものではなく、確かに主が共にいてここまで来たということへの、一種の感慨のようなものであったのではないだろうか。カントではないが「これでよい」という境地なのか。
 
私にはその経験がないから分からない。ある意味で、誰も経験できないようなことかもしれない。しかし、そのような満足感だけなら、キリスト教に関係なく、たとえば日本人ならえてしてそう思うのではないか、という気もする。この日本で宣教していくということは、何かしら自然の中に還っていくことでよいのだ、というだけのものではない、何かを伝えなければならないし、またキリスト者がそれを確かに得ていなければならないように思う。
 
説教者は、与えられた道を走り通したという点に、さらに注目する。死というものも、主の憐れみと主の力によってもたらされた命の再出発の機会として理解してみてはどうだろう。このレースは、その「死」によって終わるのではないからだ。そう、「死は終わりでない」のである。その先に、まだゴールが控えている。その決勝点への眼差しを忘れてはいけない。本当の栄冠は、そこにある。ただ、地上での戦いは、ひとまず終わる。後は完全に、神に委ねることとなる。
 
その走り方は、一人ひとり異なるのだ、と説教者は付け加える。私たちは、他人と自分とを比較する必要はない。一様のレースしかありえないようなことはない。走る道はそれぞれ違う。立ち止まり、歩くこともあっただろう。疲れ果てて身を伏していることがあったかもしれない。だが、私たちはいま、まだ歩くことができる。歩くことが許されている。
 
たとえ世間的には、どんなに惨めに見える生活であつたとしても、どんなに罵声を浴びせられ、誰にも理解されないような人生であったとしても、神の目にはそれは何の問題もないのだ。ただ神の与えた言葉が描いた道をさえ、歩んでいるのであればいい。神が与えたイエス・キリストの後ろにまわって、従っていったのであればいい。イエスの背中が見えるか。鞭打たれ、身を裂かれ、血の流れる背中ではないか。イエスの頭には何があるか。栄光の冠どころではない。突き刺さる茨の棘に、これまた血が滲んでいるではないか。疲労困憊と苦痛とは、もうどんな言語をも超えている。よろよろと、木を担がされてもたもた歩き、ついには倒れて、剛健な男に木を運んでもらうしかなかった、そんな歩みをしているイエスの後ろにまわり、涙にむせびながら、歩いていけたら、それでよいではないか。
 
説教者の開いた聖書は、もうひとつ、イザヤ書46章であった。この箇所は、9月19日の聖書日課(日本聖書協会」にあり、訳あって私は少しだけ日付の先を祈りのために用いていた。
 
あなたたちは生まれた時から負われ
胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ46:3-4)
 
私はここから、「担う」という言葉がどうしても心を捕らえて離さなかった。背負うこと、それは身体的行為であるが、どうも抽象化した上で、別の概念を表すようにして使われているはずだ。主なる神は、イスラエル民族を担ってきた。それは、イスラエルについて責任を負ってきた、ということでもあるだろう。このことを、預言者イザヤが民に告げる。ということは、「私に担われている者たちよ」との呼びかけは、人間イザヤの口から発されているわけである。しかし、神が発しているものとして、神の霊が全責任を負うのだから、という覚悟を、神と共にイザヤも有しながら、懸命に発しているのである。
 
イザヤ本人には、担っている感覚はないはずだった。神が担っているのだよ、主があなたを背負っているのだよ。こう迫るイザヤは、ある意味で他人事なのだった。でも、他人事にはなれないのが預言者というものだった。イザヤはもはや、主と共にいる。だからこそ、そのイザヤの語る言葉そのものに、聞く者は神を体験することができる。
 
いまここで、私がそれを聞いている。私はいま、主と出会う。正にいま、主に担われている自分を知る。おまえを造ったのは主ではないか。主がおまえのすべての歩みを握っている。主がおまえについてのすべてについて、責任をとり、面倒をみよう、というのだ。
 
この直前で、イザヤは、ベルだのネボだの、バビロンの偶像の神々の名を持ちだしていた。偶像の神々もまた、担われていたのだ。但し、獣の担う荷物であることしかできない代物なのだった。これでは正に「お荷物」である。生きてはいない。命がない。自由も何もないものである。
 
だから、命の主に導かれ生かされている民は、この言葉に耳を傾けよ。聞け、イスラエル。主に担われてここまで来た者たちよ、これからもずっと、主が責任を以ておまえを助け導くのだ。主に背負われて行くがいい。安心して、主の救いの中へ身を委ね、喜びの声を挙げるがいい。
 
――こんなことを、考えていた。蛇足だが、説教者とは、このイザヤである。礼拝説教者は、主と共にいて、他人事ではない神の言葉を語る。それがあるからこそ、聞く者は神と出会うことができる。
 
失礼だが、それはもはや、ご高齢の方には限らない。いまここで、真剣に神からの言葉に向き合い、受け止め、それに生かされ、神を称えるという意味では、すべてのキリスト者への、喜びの知らせが与えられたのである。

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