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年末年始特集・小説「ヤエル」4

 ナフタリのケデシュから、アビノアムの息子バラクが、デボラのもとに上ってきた。

「父が申すには、デボラさまが私のことを用いようとされたとのことで……」

 兵士の姿でかしこまって出て来たバラクに対して、デボラは顔を上げるように言い、告げた。

「主は、あなたを選んだのです」

 重い一言が、バラクの顔を緊張させた。

「主が命じられました。『行け。バラクが先頭を切り、兵を集めよ。カナン王ヤビンに虐げられている民族、ナフタリとゼブルンの中から、勇士を一万人動員するのだ。キネレトの西、ナフタリとゼブルンの境に近いタボル山に終結させよ。そこから下にキション川が見える。キション川に駆け降りよ。そこにはヤビンの右腕たる将軍シセラが兵を構えて 待っている。鉄の戦車も鉄の剣も、脅える対象ではない。いかなる軍勢も、恐れるに値しない。シセラの軍を、バラクよ、おまえの手に渡すのだから』と」

 バラクの顔色が変わった。たしかに、ナフタリの地での警備においては、一応のリー ダー格となっている。しかし、一万もの兵を統率し、かのシセラに対抗するだけの力は自分にはないと感じている。いくら恐れるなとは言っても、相手は鉄だ。青銅の剣では文字通り太刀打ちできない。こちらが一万いても、相手はそれ以上の可能性が高い。どうしてこの女預言者は、そのようなことを言うのか。まだ若いこの自分に、それほどの力を、神がくださるとでも言うのか。

 心の動きを読み取って、デボラはバラクをどう励まそうか、次の言葉を案じていた。するとバラクのほうが先に、不安を露呈してしまった。

「デボラさま。若い私には、まだそのような力はありません。デボラさまが同行ください。あなたが一緒に来てくださるならば、神が共におられ、勝利することもできるでしょう。それならば、私は参ります。しかし、もしあなたが同行してくださらなければ、私も戦いを始めることはできません。神が共におられないからです」

 言った後でもなお、バラクは真剣な顔だった。それが、デボラの怒りを誘った。『し まった、弱気なことを言ってしまった』とでも気づいて、前言を翻すようなことでもするなら、まだよかった。どうかそのようにしてくれ、と願うような気持ちだった。しかしバラクは本心からそう言っていた。デボラは、神に選ばれた器としてのバラクの小ささを心の中で嘆いた。

「よろしい。行きましょう。わたしは、あなたと必ず共に行きます」と、デボラは静かに告げた。「しかし、そのような退嬰的な姿勢は、あなたの栄誉をも失ってしまいました。あなたは出陣します。しかし、あなたに栄誉はつきません。主は、シセラを女の手によって仕留められるのです」

 バラクは初めて気づいて青ざめた。

「いや。あなた自身が罰されなかった分だけ、まだ幸運だと思いなさい。どうかすると、主の期待に添えなかっただけで、命を失うことさえ、あるのです。やはりあなたは選ばれた人。この戦いへの勝利は、約束されています。元気をお出しなさい。怯むことはない。戦うのです。ただ、シセラの首をとるのが、あなたではなく、女となってしまうだけのこと」

 とにかく、バラクは出陣の準備を始めた。また、デボラも北進した。北部イスラエルの危機であるとして、道々同胞に呼びかけた。ベニヤミンからエフライム、マナセの部族は、戦いに必要な糧や武器を供給するのを手伝ってくれた。

「とにかく、ケデシュに兵を集めましょう」

 デボラはバラクに言って励ました。バラクはまだ落ち込んでいた。自分の弱気が手柄を逸する原因となった、というショックが尾を引いていた。

「弱気になってはいけません」

 デボラは笑って、バラクの肩を叩いた。バラクは女預言者の顔を見つめた。

『いったい、どのようにして、シセラを撃つというのだろう。女の手による、ということは、このデボラさま自身が、シセラを手にかけるということに違いないだろうが、いったい、どのようにして……』

 ナフタリに戻ったバラクは、すっかり王のような迎えられ方をした。今イスラエルの軍事的指導者であるデボラによって任命された、イスラエル軍の将。バラクは、若き英雄であった。その勢いの中で、さすがのバラクも、これは自分のつまらない心の中の問題をさらすべき場合ではないと考えた。ただちにとるべき行動に出た。

「兵を召集せよ。ナフタリとゼブルンの中から、一万の兵を必要とする。農耕の手を休め、ひとときイスラエルの運命のために戦え。勲をなさんとする者も、我こそ強者と名乗る者も、皆ケデシュの町に集え」

「敵は今、どこにいるのですか」

 群衆の中の一人の勇敢そうな男が叫んだ。

「敵は将軍シセラ。メギドの丘で要路を抑えている。シセラは常時そこにいる。ハロシェト・ハゴイムに住んでいる。カナン王の町ハツォルからは離れているだけに、援軍が来る前に勝負を決めたい」

「なるほど。承知した」

 男たちは、次々とバラクのもとに集まった。その横でデボラもまた、これは主の戦いであると強調した。戦争において、こうした神の守りがまずあるということは、それだけで勝利を確信できる要素となりえた。かつてモアブの王が、はるばる遠方の占術師バラムを招いてイスラエルを呪わせようとしたのも、そのためである。(つづく)

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