ヤンネとヤンブレ
テモテ二3:1-9
「知性の腐った、信仰の失格者」「こういう人々を避けなさい」と、なかなかきつい言い方が続きます。よほど当時の教会に、困った人物がいたのでしょう。聖書のような標準になるものがなかった時代ですから、それぞれが正義を主張すると、収拾がつかなくなることがあったのでしょうか。まあ、聖書のある今でも同じようなものですが。
ここでは、ヤンネとヤンブレという名が見えます。二人がモーセに逆らったと記されていますが、今の聖書を見る限り、探すことができません。どうも、聖書ではない他の文献の中に登場する人物名らしく、出エジプトの出来事の直前において、エジプト王の宮殿で、モーセやアロンと対決した魔術師の名前であるのだ、ということです。
これに相当するのが、「常に学んではいるが、いつになっても真理を認識することができ」ない人物です。教会の中にこういう人がいることは、当然あり得ます。ここには「愚かな女たち」がそれを指していますが、今の私たちはこれを女性に限定する必要はないでしょう。前半で挙げられた、どうしようもない性質の輩の中に、それはいるそうです。
特にヤンネとヤンブレのような者がいる、と指摘されているわけですが、あのエジプトの魔術師なら、それを「信仰の失格者」と呼ぶには、少しお門違いのような気がします。モーセと対決あるいは対立したというところが理解のポイントなのでしょう。モーセは律法を代表します。そして新しい律法と呼ばれるのが、イエスの教えだったはずです。
イエス・キリストに逆らう者が、そこにいたわけです。いえ、我はキリストにあり、と自称する権威に立つ教会の代表者あるいはリーダーの側の者が、それに逆らう者のことを、おまえたちはヤンネとヤンブレだ、と非難したのではないでしょうか。ちょうど、教会に逆らう者をユダ呼ばわりして非難することが、きっとあったであろうように。
残念ながら、この傾向はキリスト教会の伝統にずっと遺っていきます。いえ、ヤンネとヤンブレのことではありません。我こそキリストの僕だ、弟子だ、と豪語する方です。歴史の中で、教会はそう言って筆舌に尽くしがたいことをしてきました。そして今もなおそうしていることに気がつきません。悔い改めない以上、今もそれははびこっているのです。