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主への大胆なとりなし

民数記14:1-19 
 
部族毎に一人ずつ、指導者を出します。カナンの地を偵察させるのです。ぶどうの房の付いた板を切り取り、担いで戻りました。しかし、ヨシュアとカレブの他の面々は、敵は巨人だと噂を広めました。これに、イスラエルの民は怯えます。民は、モーセとアロンに不平を言いました。エジプトで死ぬ方がましだった、さあ帰ろう、と。
 
群衆の声が響き渡る中、モーセとアロンは会衆の前にひれ伏します。そこへ、ヨシュアとカレブが衣を引き裂き、会衆に向けて言います。大きく感情が爆発したままに、信仰を告げます。主の御心に適うなら、あの良き土地を主は与えて下さるだろう。主に逆らってはいけません。私たちには、主が共におられるのだから、何も恐れる必要はないのだ。
 
しかし、興奮した群衆は、こうした指導者たちに向かって、石を投げつけようとしました。このとき「会見の幕屋で、主の栄光がイスラエルの人々すべてに現れた」のでした。ここで人々の攻撃は一度止まります。そしてその背後で、主とモーセとのやりとりが交わされます。主の怒りが、モーセに向けて吐き捨てられました。
 
主を侮り、主を信じない民は、疫病で滅ぼしてしまう。モーセたちは守ってやろう。そしてモーセたちを中心として、新たな国民を造り上げるつもりだ、と主は怒りを表します。そこでモーセが慌てます。曲がりなりにも、この民は主の名を知るものです。出エジプトの力ある業を見て、体験しています。なんとか助けたいと胸に思います。
 
そこで知恵を以て臨みます。他の民族が、この有様を見たらどう思うでしょうか。主なる神が、助け出すと言った約束を守れないために、つまり約束の地を与えることができなくなったために、民を滅ぼしてしまったのだ、などと考えるかもしれません。そうしたら、主の名が貶められることになりかねません。主の名誉が地に落ちます。
 
そういう点を突いて、なんとか民を滅ぼすことを主に思い留まらせるようとしました。「主の大いなる力」とは何なのか、モーセは叫びたかったのでしょう。主は怒るに遅い方、慈しみの主です。出エジプトにおける度重なる人間の失策と不信を、ここまで赦して下さったのですから、今また民の罪を赦してやって戴きたい。モーセの大胆さを覚えます。

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