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闇の中の光 (ミカ7:8-10, ヨハネ1:14-18) アドベント3

◆闇が消えた

1:初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2:この言は、初めに神と共にあった。
3-4:万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった。
5:光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。
 
ヨハネによる福音書の冒頭の箇所です。とても有名なところです。旧約聖書の創世記の最初を意識して書かれていると考えられています。「初めに神は天と地を創造された」(創世記1:1)と対比せられ得るからです。
 
イエスの誕生を思う時期にも、この箇所はよく開かれます。ツリーその他のオーナメントには、炎や輝くものが付せられます。それは、イエスが光と見なされるからです。「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」というところに、イエスが人として生まれたことの意義を、強く感じるのです。
 
イエスは光。そして、光は闇の中でこそ輝きます。さて、その「闇」とは、どんなものでしょうか。かつては「漆黒の闇」などと称された闇も、いまは殆ど感じることがありません。24時間営業の店の登場を待たずして、街灯は夜の間中輝いています。信号機が夜中に消えると危険でしょう。映画「となりのトトロ」に描かれたような山奥だと、かなり暗い夜が描かれていましたが、そのとき月明かりは十分に辺りを照らすものでした。かつては、月が出ているだけで、夜は明るいと思われていたことでしょう。提灯でも手許にあれば、歩くのに問題はなかったのです。
 
私はかつて、子ども心に、夜の闇は怖いものでした。夜中にトイレに行くことさえ怖くて、ママを呼ぶほどでした。そこから何が出てくるか分かりません。そこに引き込まれるような恐怖も覚えました。しかし、時代は夜に闇をつくらなくなってきています。いま子どもたちを夜9過ぎに家に帰すような仕事をしていることを、心苦しく思うときがあります。夜がかくも安全な国は、珍しいかもしれません。さほど夜を恐れる必要もないからです。そうなると「闇」という言葉も、いまは実際の闇というよりは、メタファーとしてしか感じなくなってきたように思われます。
 
いま「闇」と言えば「闇バイト」が真っ先に思い浮かべられるかもしれません。不思議なもので、会社について言うときには「ブラック企業」なのですが、「アルバイト」については「闇バイト」なのですね。カタカナと日本語とを結びつけるのがよいのでしょうか。楽して儲かる、ということに引っかかるのは、もちろん若者だけではありませんが、世間知らずというか、倫理観の欠如というか、若い人が犯罪実行に利用されていることを聞くと、胸が痛みます。さすがに電話詐欺や運び屋には手を出さないにしても、人を騙すような商法の電話勧誘のアルバイトなら、胸にチクりとも感じないような風潮も感じます。
 

◆闇はどこに

大学生の間でも、人を騙す犯罪グループが摘発されることがあります。最近では、法で禁止されている植物を取り扱うことが大きく騒がれました。かつて全国一の実力を誇っていた運動部が、それによって廃部に追い込まれたのは残念なことです。
 
そのように、世の中の「闇」は、あれこれ見出そうと思えば見つかるように思われます。
 
しかし、人の心の中にも「闇」という言葉が用いられることがよくあります。そう、「心の闇」という問題です。異様な犯罪が報道されると、判で押したように「心の闇」という言葉が飛び交うのです。「敬虔なクリスチャン」と同じくらい、「犯人の心の闇」というフレーズも、常套句になってしまいました。確かに深刻な心の問題ではあるのでしょうが、視聴者が満足するためには、何事もその言葉で締め括ることで、部外者が安心さえすればよいのでしょう。画一的に、決まり文句で結んでおけば、皆肯いて、終わりなのです。その当事者のほかは。
 
話題になった犯人を、皆で寄ってたかって決めつける。この人間には、「心の闇」があったのだ。皆でそのように断言します。そして、そう取り囲むその他大勢の人々は、自分には「闇」などないように振舞っています。果たしてそうでしょうか。「闇」は、犯罪者として捕まったその人間にのみ特有なものなのでしょうか。
 
自分の心の中には「闇」などないように振舞っている。否、それを忘れて日常を生きている。それが、多くの人の実情ではないか、と勘ぐっています。ちょうど、ハイデガーが、のほほんと生きている人々が、死を考えまいとお気楽な毎日に浸って、真摯に人生を見つめようとしないで毎日を暮らしていることを指摘したように。
 
自分の中には、「心の闇」はないのでしょうか。それとも、そもそも「闇」などないと考えているのでしょうか。犯罪者にだけ「闇」を押しつけて、実はそんなものはないのだ、などと自分を安心させようとしているのでありましょうか。
 
そうやって「闇」を軽んじるとなると、「悪魔」なるものも、軽く見られるようになります。古の人には「悪魔」は実に恐ろしい存在だったことでしょう。「闇」を知る時代の人々は、「闇」の大将である「悪魔」は怖い存在だったはずです。しかし、「闇」を軽く見ることによって、「悪魔」も軽く見られます。黒装束に尖った尻尾をもち、歯を見せて笑う、戯画化したあの「悪魔」を、人間は集団で笑い飛ばすのです。
 
聖書は「悪魔」をそのようには描きません。「悪鬼」と訳そうが「サタン」と表記しようが、「悪魔」には、人間が敵うはずがありません。とても、マスコットになるような可愛い者ではないのです。人間が慰みに揶揄するような相手ではないに違いありません。
 

◆ロゴス

1:初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
 
最初にお読みしました、有名なヨハネによる福音書の最初の言葉ですが、この「言(ことば)」という不自然な訳は、ギリシア語の「ロゴス」がとても訳しにくい語であることに基づきます。この「ロゴス」というギリシア語を、明解に説明する術を、人類はいまだに持ち合わせていないのです。私は、ひとつのイメージとして、そこに「理」という漢字を適用してはどうか、と考えることがあります。しかしそもそも、人間が神を簡潔に捉えて説明しようだなどということそのものが、おかしいことなのでしょう。
 
しかし、その「言」というものが、イエス・キリストを指すという点では、キリスト教世界では意見が一致しています。そこだけ押さえた上で、今日はそのことに焦点を置きませんので、申し訳ありませんが、軽く流します。
 
かの「言」は「神」であり、その内には「命」があること、そしてその「命」は「光」であったことが、ヨハネ伝の最初のところで、立て続けに述べられています。あまり論理的ではありません。神秘的なイメージを呼び起こします。
 
5:光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。
 
これが、降誕節のメッセージでしばしば持ち出される、ということについては、すでに触れました。ヨハネ伝は、四つの福音書の中でも、特殊なものに数えられます。他の三つの福音書が、それなりにではありますが、似通った表現や構成をもっているのに対して、ヨハネ伝は、あまりにも外れています。雰囲気も違いますし、とにかく型破りです。
 
けれども、世界で初めてこのときに「福音書」という文学形式が登場した中で、少し遅れたとはいえ同時期に登場したヨハネ伝が破るほどの「型」というものは、まだできているとは言えなかっただろうと思われます。ですから、「型破り」という表現が適切であるかどうか、には疑問があります。それでも、ヨハネ伝は、やはり何か違うのです。
 
ヨハネ伝は宣言します。「初めに言があった」と。そして、神はこの言であった、といいます。この「言は世にあった」(1:10)といい、しかし「世は言を認めなかった」(1:10)というのですから、これはイエス・キリストのことを指していることは明白です。イエスはロゴス。この世界の「理」です。人間が知り得る限りのすべてを成り立たせる原理にもなっています。
 

◆肉となった

14:言は肉となって、私たちの間に宿った。
 
これが、私たちのための福音です。人間の赤ちゃんとして生まれたその子は、「言」が肉となった姿だったというのです。クリスマスのストーリーが様々ありますが、どうぞそれらを思い浮かべて戴いて結構です。クリスマスが、誕生というイメージで拡がることを願って止みません。小さな子どもの誕生に過ぎませんが、それは、「言」が人として生まれた、偉大な一歩でした。
 
私たちが祝い、またお祭りをする、その根本がここにあります。
 
14:言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
 
私たちは、その栄光を見ました。その「私たち」とは誰でしょうか。ヨハネと呼ばれる筆者自身を含む集団のことでしょうか。その内の幾人か、ということかもしれません。この福音書が書かれた時期は、推測に過ぎませんが、福音書の中でも最も遅い時期ではないかと言われています。イエスの十字架と復活を見たという時代から、ゆうに半世紀は超えています。だとすれば、この福音書がまとまった時期と、書かれた時期とをずらして考えるのもひとつの可能性です。最終的にまとまったのは遅かったとしても、その部分部分の原稿は、古くから伝わっていたのだ、と想像するのはどうでしょう。まだ記憶に生々しいイエスの姿を知る人たちが、これらの描写をしたのだ、と考えるわけです。
 
しかし、そのように無理に考える必要がない捉え方もあります。「私たちはその栄光を見た」というその「私たち」は、筆者と共に、読者をも含む、と考えるのです。なにせ、現代の文学では図れないジャンルです。筆者は、読者がこれを読んで、神を知るように、と願っているはずです。その願いは、確実に幾多の人々を神の前に招きました。「私たち」と言って、読者はそれを自分のこととして受け止めてくれますね。そんな誘いかけすら覚えながら、その「私たち」の内に数えられた私は、もう一度これを読むことにしましょう。
 
14:言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
 
イエスは人として生まれた。「私たち」の世界に来てくださった。そう受け止めると、いまこの世界にも、キリストが来てくださっている、少なくとも「聖霊」という形で、ここにいてくださっている、と心強く思います。神のすばらしい「栄光」を、いま私たちは観ているでしょうか。
 
「栄光」もまた、難しい概念です。分かったようで、分からない。ギリシア語で「ドクサ」と読むこの言葉は、プラトン時代のギリシア哲学では、思慮深くない人間の「思いなし」とでもいうようなものを示すために使われていました。「考え」ということを示すのに使われたのですが、思想的には低いもの、感覚的な知識に過ぎないようなものを現すものでした。それはまだ思想として組み立てられている以前の段階のものですが、それが意識的に構築されていくと、「ドグマ」となります。えてして、独断的に決めつけて理論を組み立てたときに、それを「ドグマ」と呼ぶのが通例です。
 
しかし聖書の時代は、そのような哲学的な趣で用いるのではない「ドクサ」の姿がありました。元々、ヘブライ語においては、「重さ」を示す言葉であったらしいので、「荘重」のニュアンスで捉えてよかったのかもしれません。ただ、それはどうしても表に出る性質のものです。人間でも「威厳」と言えば、これに近いだろうと思われます。やはりこれも、「ロゴス」のように捉えどころのない概念であるようです。また、たかが人間如きに、神の性質を示す語が、捉えられてはならない、とも言えます。言葉にならない輝き、それを私は便宜的に「すばらしさ」と呼ぶことにします。「私たちはイエスのすばらしさを見た」とでも言えば、具体的に何を言っているかは分かりませんが、なんだかそんなものだと思えないでしょうか。
 
神のすばらしさ。神の栄光。しかし、イエスの生涯を振り返ると、神の栄光とは程遠いものであったことを思い知ります。無惨な死でした。残酷な死でした。何のために死ななければならなかったのか、普通ならば分からないような殺され方でした。これを現実に味わう遺族もいらっしゃいます。堪えがたいことだろうと思います。そこへこのような露骨な言葉を届けるのは辛いのですが、キリスト教会がいつも心に置いているのは、そのような死に方をしたイエスの姿なのです。
 
その誕生物語が、福音書に少し記されています。これもまた、惨めなものでした。みすぼらしいものでした。しかも、まともな部屋ではなかったとルカは伝えています。なんの祝宴もありません。ただ、ユダヤ人ではない外国の賢者が訪ねた、という記事と、ユダヤの人々から蔑まれていた羊飼いが何人か訪ねた、という記事が見られるくらいです。おまけに、この新たな王の誕生を恐れて、ヘロデ王は近隣の幼子を皆殺しにした、とまでルカは描いています。つまらない言い方をしますが、全く、疫病神のような生まれ方をしたのがイエスでした。
 

◆光を受けて

その当時、ユダヤ社会は、非常に暗い時代でした。バビロン捕囚からなんとか帰還した人々がいたものの、その後相次いで勃興する大帝国に翻弄されます。イスラエル民族が蜂起して一時的に独立を回復したのも束の間、今度は強大なローマ帝国によって、ユダヤ区域は、ローマ帝国の属国となります。いえ、帝国の「属州」と言うべきでしょう。政権は一応ユダヤ自治のように置かれますが、傀儡政権に過ぎません。
 
ローマ帝国は、広大な帝国を築きました。その政策は、基本的に寛容でした。帝国に反旗を翻すことさえなければ、地域の中での一定の自由は与えられていたのです。しかし、ユダヤ人たちは、自分たちのアイデンティティを知っていました。創世記に始まる、イスラエル民族の歴史があります。天地万物を創造した神に特別に選ばれ、導かれてきた歴史を有しています。幾多の苦難を乗り越えて、約束の土地を与えられ、ついにダビデ王とその子ソロモンの時代に、輝かしい栄光を獲得しました。
 
かつてのその輝きを、ローマ帝国支配の下で、忘れかけているようにも見えました。イザヤ60章の預言も、なんだか過去のもののようにしか見えません。
 
1:起きよ、光を放て。/あなたの光が来て/主の栄光があなたの上に昇ったのだから。
2:見よ、闇が地を覆い/密雲が諸国の民を包む。/しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる。
 
それでも、これはまだこれからも起こる。信仰ある人々は、それを思います。創造神でありイスラエルの王たる神を信じる先に、ローマ人は、ギリシア文化から受け継いだ神々に加え、侵略した他国の神々すら取り入れて、日本の「八百万」に勝るとも劣らない仕方で神々を掲げていました。
 
思えば、イスラエル人も、周辺諸国の神々に現を抜かしていた時期もあったのです。しかし、こうしてローマの圧力に被支配者として生きていかねばならない中で、却ってイスラエルの神、主への信仰へと、人々の精神が結束していったのではないか、とも考えられます。
 
それを「闇」と考えても、不思議ではありません。かつてのイスラエル王国の繁栄の歴史を思うとき、現状はまことに「闇」にほかなりません。
 
しかし、どんなに暗い中でも、それは漆黒の闇ではありません。人間の目は、暗さに慣れる性質をもっています。最近のデジタル処理は別として、カメラは基本的にそのまま正直に照度に応じて撮影をしますから、夕方の写真は妙に暗いように写りますが、人間の目は、カメラが写したものよりは、ずっと明るく夕方を認識しています。
 
猫の目は、暗闇で光ると言われています。猫の眼球には、網膜の外に「タペタム」と呼ばれる、一種の反射鏡が装備されているからです。わずかな光もその鏡のような構造で眼球内に反射させることにより、景色をいっそう明るく見ることができるようになっています。この光が外に出てくることがあると、私たちには猫の目が光っているように見えることになります。
 
光は、闇の中で輝いている。ヨハネ伝はそう叫んでいました。神からの光が消えたとは書かれていません。ユダヤ人たちも、完全な闇の中にいるとは考えていませんでした。そこには「希望」がありました。まだこんなことで、イスラエルは終わらない。神が、終わらせるはずがない。神は、いまもなお、民族をその光で照らしている、との「希望」を失うことはありませんでした。きっと、そうです。だからこそ、イエスの誕生を、待っていた「救い主」の誕生だとして迎えたのです。
 
神からの光は、確かにある。ただ、それがまだ辺りを照らしてはいません。かすかな光となっています。でも、それ故にまた、完全な「闇」にはなりません。猫の目のように、信仰を各自が有していれば、神からのわずかな光を、幾度も反射して、増幅することもできるでしょう。そのようにして、神の光を受けていたのではないか、と想像します。
 
それは、私たちも同じです。あなたにもまた、神からの光が届いています。真っ暗になってしまったわけでは、ないのです。
 

◆罪と光

イスラエル王国は、繁栄を誇ったソロモン王の次世代に、分裂しました。北イスラエル王国と、南ユダ王国とに分かれました。北イスラエル王国は、アッシリア帝国により、紀元前8世紀に滅ぼされます。初めて、神の民の国が滅亡したのです。これを「闇」と呼ばずに何と言いましょう。しかしその中でミカという預言者が、回復の希望を語ります。かすかな希望を、何十倍にも増幅して、イスラエルの復興を預言した預言者でした。
 
確かに、滅亡したその地は、闇でした。取り囲む敵がいます。植民政策などをして、イスラエルの血を、外国人との混血にしようとする政策がありました。それでも、ミカは神を見上げます。それならそれで、私たちイスラエル人を愚弄するがいい。私たちは非常に惨めな状態だ。しかし、どんな惨状であったとしても、こうした私たちをせせら笑っていると、おまえたち敵は、しっぺ返しをくらうことになる。ミカの7章が叫んでいます。
 
8:わが敵よ、私のことで喜ぶな。/私は倒れても、また起き上がる。/たとえ、闇の中に座っていても/主は私の光である。
 
私たちは、倒れても起き上がるのだ。闇の中に動けなくなっていたように見えても、主の光がここにあるのだ。希望の言葉です。現実にどんな目に遭っていても、負けない強さを与えてくれると思います。
 
9:私は罪を犯したので/主の怒りを負わなければならない。/主が私の訴えを取り上げ/私を裁かれるときまで。/主は私を光に導き/私は主の正義を見るだろう。
 
しかし、ミカはただ無造作に希望を口にしているのではありません。自分たちは「罪」の中にいるのだ、と神に告白しています。この告白は重要です。主の怒りを負うのは、その罪により当然のことと受け止めます。しかし、罪があるとの自覚は、神の救いを呼ぶことになることを、ミカは考えています。私たちは、地の底のようなところから、神を見上げています。主はこの訴えを、必ず取り上げてくださることを信じています。そのときすべてが変わるのです。主は私たちを、神の光の中に置きます。そして、神が正義であることを、まともに知るのです。
 
10:「あなたの神、主はどこにいるのか」と/私に向かって言った敵は/それを見て、恥に覆われる。/私は目の当たりにする/今、敵が路上の泥のように踏みつけられるのを。
 
おまえの神がいるなら見せてみろ。こんな惨めな負け方をしたおまえたちを救う神とやらを、連れて来い。敵が嘲笑います。それは、キリスト者たちに投げかけられる悪口と重なることもありました。神を見せたら信じてやろう、という言葉は、絶対に見せられるはずがない、という妙な自信によって告げられる非難です。
 
私たちもまた、そう向けられる嘲笑に対して、何も言えませんでした。世界にこれだけの不幸や災難がある中で、神はどこにいる、と向けられるとき、答えに詰まることがありました。いえ、そればかりか、自らクリスチャンと名のり仲間として隣りにいた人々までもが、この災害の中で神はどこにいるのか、と刃を向けてくることすらあります。
 
しかし、ミカは、神の光が照らすときが来たら、そのような敵は恥に覆われる、と断言しました。預言者は確かに見たのです。敵は、神の前に泥のように踏みつけられてしまいました。預言者は神により、その幻を見せられます。希望の光は、嘘ではないのだ、そう叫びます。そのとき、もはや敵は敵ですらなくなってしまうのです。
 

◆言葉

ヨハネ伝に戻りましょう。1章で、今日中心に据えた箇所です。
 
14:言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
 
ややこしいのですが、これは筆者の名ではなく、洗礼者ヨハネのいる場面に関わります。しかし、いまはその洗礼者ヨハネには関心を寄せずに進みます。
 
16:私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。
17:律法はモーセを通して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
 
律法というのは、古い時代にイスラエルに渡された、神との契約の法です。諸外国の翻訳では「法」としか訳されていないのですが、日本語ではどういうわけか「律法」という専門用語を使います。日本語の「法律」と「律法」とは、元来同じ語であるはずでした。しかし、イスラエルが神と交わした法についてだけ、「律法」と呼ぶのです。しかしそれは、いま私たちが言う「法則」のことでもありました。神と人との間に結ばれた法則としての法律、それはかつてモーセが、神の記した十戒の板をイスラエルの民に届けたことに根拠を置いていました。
 
イエスの当時、その「法」が、何か歪んで適用されていたのです。この問題は非常に深く広いものですから、また日を改めてお伝えできたらと願います。とにかくイエスは、その昔からの「法」とは違う、しかし昔からの神と人との関係を否定するのではなく、まるで止揚するかのようにして、新たな「法」をもたらした、という形をとりました。それを「恵み」と呼ぶことにします。
 
イエスは、「法」を守る努力の故に救われるという図式を、すっかり反故にしてしまいました。イエスは、人に見える形で、神を具現しました。この福音書の筆者は、それを証言しています。十字架で息を引き取ったイエスの体から、「血と水」とが流れたと記しました。血も涙もある、人間の姿でした。イエスは、「肉」、即ち人間となった「言」の姿でした。
 
いま私たちは、イエスをどうやって知るでしょうか。直接血を見たわけではありません。その肉に触れたわけでもありません。私たちはイエスを、「言葉」によって知るのではないでしょうか。耳で聞くか、目で読むか知れません。手話言語でもいいし、盲ろう者におけるように指文字や触手話でもよいのです。しかし、どれもなんらかの「言葉」です。聖書は「言葉」で書かれています。
 
私たちは、言葉を通じて、イエスと出会います。だからこのイエスは、「言」であってよいのです。イエスが聖書の言葉をもたらします。聖書の言葉には命があります。イエスが姿を取ってくださった肉体というものを、私たちも有しています。その肉がただの生命ではなくて、神の言葉からもたらされる命を受けて、生かされてゆくのです。それが恵みです。それが光です。私たちは、闇の中からも、光を放つようになりました。私たちは、救われているのです。

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