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従順の行方を胸に刻みつつ (フィリピ2:7-8, エレミヤ2:1-3) アドベント3
◆素直
小学六年生の時だったと思います。クラスの新学期の目標を決めよう、という学級会が開かれました。私は司会をしていました。積極的な意見が出てくるのは結構なことでした。議題については、前以て考えてきてもらっていました。目標は、どんな標語にしたらよいか。手を挙げたみんなの声を拾って、黒板に並べてゆきます。
どんな言葉が出て来ていたか、正確に憶えてはいませんが、たとえば「友情」とか「努力」とか、そういった言葉が飛び出してきては、黒板に私が書いてゆきました。ある子が「決断」と言いました。私は黒板に書きました。その次に、「だんけつ」という意見が出ました。私はくすっと笑いながら、「けつだん」の次が「だんけつ」なんだ、と思い、黒板に「断決」と書きました。すると今度は発言した子が笑いながら、「ちがう、ちがう」と言うのです。私の頭の中には、すっかりそのギャグめいた連続が満ちていましたから、「え?」と戸惑ってしまいました。その子は、一文字ずつ、漢字を、分かるように言ってくれました。そうです。言いたかったのは、「団結」なのでした。
さて、私は前の日、この件について母に「何がいいかなあ」と相談していました。母は少し考えて、「素直」なんてどうだろうか、と言いました。私は自分で特に考えがなかったかものですから、学級会のときには、私の案として「素直」と黒板に書きました。あいにく、それは支持されませんでしたが、「素直」という言葉は、私の心にその後残ることとなりました。
すぐに反抗して文句ばかり言うような風潮がその頃あったので、母は、「素直」なのがいいね、と説明してくれました。私自身は決してそのように反抗するタイプではなかったものですが、そのとき世間の子どもたちの反抗する姿勢について話題になっていたらしく、なるほどと思ったことを覚えています。
ただ、クラスの目標スローガンにするには、あまりインパクトがなかったのは確かでした。選ばれなかったのは仕方がありませんが、このなにげないひとつの出来事が、私の心の中のどこかにずっと宿ることとなりました。
◆カムカムエヴリバディ
先月11月から、「カムカムエヴリバディ」の再放送が始まっています。3年前に放送された「朝ドラ」、正式には「連続テレビ小説」です。半年近くにわたり放送され(コロナ禍の影響から、通常の半年間を確保できなかった)、好評を博しました。ご存じない方もいるでしょうから、多少は説明を施しながら、お話しします。
朝ドラの中では初めて、ヒロインが3人登場し、時代も百年を刻むという、壮大な物語でした。しかも、一貫したテーマを感じさせ、最後には大団円を迎えるという、見事な構成でした。一つひとつの場面がほんとうに切なくて、朝ドラ史上傑作のひとつと言ってよいだろうと思います。2025年がその物語の百年目にあたるということで、今回の再放送のタイミングはそれを重ねているのだろう、とも言われています。
「カムカムエヴリバディ」というのは、戦後日本で一大ブームを巻き起こした「ラジオ英語会話」のテーマソングの冒頭の歌詞です。「証誠寺の狸囃子」のメロディーに乗せた、分かりやすい英語からできています。番組は、「カムカム英語」として親しまれました。
朝ドラの中でも、この「ラジオ英語会話」が重要なきっかけをつくり、最後まで英語が中心になってドラマを引っ張ります。「ラジオ英語会話」のテキストは、発売後三か月で360万部を売り上げたという超ベストセラーでした。復刻版がいま出ており、私も一冊求めました。
番組の講師は、平川唯一(ただいち)さん。ドラマでは、さだまさしが声の担当をしていました。英語の練習が大変だったそうです。ふと感じて調べると、平川さんが、熱心なクリスチャンであることが分かりました。その生涯を、次男の洌(きよし)さんが本にしています。その一冊を私は求め、夢中で読みました。
「ラジオ英語会話」は、常に完全原稿で挑み、放送前に自分で時間を計って臨むなど、平川さんはたいそう几帳面な方でした。その前には、いわゆる玉音放送の準備にも携わるなど、大きな仕事をしていたそうです。強い信仰をお持ちでしたが、決して信仰を人に押しつけるようなことをせず、しかしさりげなくクリスマスや母の日などを紹介し、戦後のキリスト教ブームにも貢献した一人ではなかったかと見られています。
ドラマが最初放送されていたとき、キリスト教界では、この平川唯一さんのことを、取り上げることはなかったように思われます。以前の大河ドラマ「八重の桜」や朝ドラの「花子とアン」、それに「あさが来た」のときには、クリスチャンが登場するということで、敏感に反応していろいろ世間にアピールしていたのですが、平川さんについては何もなかったと思います。陰ながら私は指摘していたのですが、反応はありませんでした。
今回の再放送も、私は毎日楽しみに見ています。すると、初回のテーマソングからもう涙が出そうになりました。重要なキャラクターがじわじわ登場するのですが、その度に涙が出ます。二度見ると、様々な伏線に気づく、とよく言われます。確かにそうなのですが、それよりも、この後どうなるか、ストーリーが分かっているために、涙が出てしまうのです。
この先どうなるかを知っているので、人物の登場やその言葉のやりとり、行動など、すべてがその悲しい将来に結びついて、たまらなくなるわけです。先々を知っているからこそ、物語を見るのが辛くなるのです。
◆従順
新約聖書には、福音書と呼ばれる書が四つあります。イエスの生涯を記録したものです。一種の伝記のようでありながら、決して伝記と呼ぶようなものにはなっていません。神の約束の成就と、神がこの地上で一時何をしてくださったかを示す書です。そしてそれはいまなお、私たちに語りかける力をもっています。
福音書は、特にマルコ伝については、最後まで読んだ後、もう一度最初に戻って読んでほしい、というメッセージをこめていた、という理解がいま拡がっています。確かに、そのように思えるような仕掛けがあるようにも考えられると思います。が、マルコ伝に限らず、福音書というものは一度さらさらと読んで終わり、というものではないでしょう。聖書は繰り返し読み、その都度新たな出会いを体験しながら読むものだろうと思います。
福音書の最初、イエスが宣教を開始します。しかし、この物語については、私たちはその行き着くところを知っています。イエスは人々の罵声を浴びた末、誰も味方がいない刑場で、この世で最も酷いとも言われる十字架刑にて、命を落とすのです。
イエスがこの後どうなるか、私たちは知った上で、福音書を開いて読み始めます。このため、とても辛い気持ちになります。
人間の姿で現れ
へりくだって、死に至るまで
それも十字架の死に至るまで
従順でした。(フィリピ2:7-8)
このクリスマスへの時期に、私たちはフィリピ書の同じ箇所を開いています。今日中心に据えた箇所は、7節最後から、8節にかけてのひとつの文でした。主語はもちろん「キリストは」です。そして述語は「従順でした」というものでした。最初にご紹介しました「素直」という言葉は、これと少し関係があるように思われます。素直であったからこそ、従順ということがあり得るのだろうとは思いますが、素直であれば従順になれる、というものでもないでしょう。キリストのその「従順」という言葉には、日本語では「従」という文字が入っています。「従う」のです。
しかし、ギリシア語としてはどうでしょうか。この箇所は、「自分自身を・低くする」というような2語からできています。「低くなる」と言っても差し支えないと思われますが、低くなるからこそ、他の権威に従うのだ、というふうに考えることもできるだろうと思われます。
イエスは収税所にいたマタイに、「私に従いなさい」(マルコ2:14)と声をかけました。同じマルコ伝では、群衆と弟子たちに向かって、「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい」(8:34)と言いました。
「従いなさい」というのは、厳しい命令です。重い言葉です。「別の人に、「私に従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った」(ルカ9:59)とき、イエスはその人に、「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。しかし、あなたは行って、神の国を告げ知らせなさい」(9:60)と言って、人情的な事情よりも、神の国を知らせることのほうを優先させました。続いて、「鋤に手をかけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」(ルカ9:62)と教え、神の国というものが、如何に第一のものであるのか、を教えたのでした。
◆服従
イエスは、日本語においてですが、「従順」だった、とされています。ところで聖書には、「従順」に似た言葉に「服従」というものがあります。福音書にはルカ伝にしか現れませんが、「悪霊ども」が「服従する」と訳されています(ルカ10:17,20)。イエスの権威を身に帯びて、弟子たちは得意気でした。しかしイエスは、悪霊が服従したからと言ってさして喜ぶべきものではない、と言います。「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10:20)と諭したのでした。
このとき、服従したのは悪霊のほうでした。そうありたいと思います。私たちが悪霊に服従してはならないわけです。
私の語感にすぎませんが、「服従」という言葉は、ドラマや小説で知る「軍隊」という場が似合うような気がします。軍隊では、上官の命令には服従するしかありません。秩序の乱れは、隊全員の生き死にに関わるからです。あるいは、作戦遂行の成功と失敗が、その服従にかかっているからです。
そういう体質の適用範囲を広げたのでしょうか、兵隊が住民を服従させ、酷いことをも平然となし、集団自決するようなところへ追い込んだという実例があります。沖縄戦について、私たちは様々な角度から知悉するようにしなければなりません。
服従しなければならない情況もあれば、服従してはならない場面もある。「非暴力・不服従」を掲げたマハトマ・ガンディーのことを、私たちはもっと思い出して然るべきではないでしょうか。
キリスト教の教団の中でも、この「服従」という考え方がいまなお通用するところが一部あります。服従こそ、信徒の徳だとするのです。かつて、その手の言い方をする人は確かによく聞きました。有名な説教者でも、そのような強い言い方をした、などという話も漏れ聞きます。しかし、それは特別な事例ではなく、案外常識のように捉えられていたのかもしれません。師匠が死ねと言えば、死ぬのが弟子なのだ、というような風潮は、師弟制度の中にあったとしても不思議ではありません。
いまなら、とんでもないハラスメントであり、犯罪でしょう。ブラック企業も真っ青のような世界です。けれども、イエスは、正にそれに従っていたことになります。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みではなく、御心のままに」(マルコ14:36)と、血の汗を流しながらイエスは祈りました。十字架に架かる直前のことです。できるものなら逃れたい。でも、その願い通りにはなりませんでした。
十字架の上では、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マルコ15:34,マタイ27:46)と叫んだことが、マルコ伝とマタイ伝に記録されています。痛みの極みにおいて、もはや声など出せる場合ではなかったはずの状態で、叫ぶことができたのかどうか、私には分かりません。ただ、それほどの極限の情況で発されたのだ、ということについては、心を馳せていたいものだと思います。
◆父と子
「わが神」とイエスは叫びました。ヨハネ伝では、「神」という言い方よりも、「父」と呼んでいるのが印象的です。父と子とはひとつであり一緒に住むとか、イエスは父の内にいるとか、一体感を示すことの多い関係がそこに現れています。そして「父よ」と幾度も呼びかけて祈る様子がそこに見られます。
イエスと父なる神との関係を、多くの神学者が説明しようとしました。それが明確に分かるような人が、果たしているのでしょうか。それさえ疑わしいのに、「教会」は、歴史の中で、その関係について意見が合わないとき、相手を異端として排除するようなことをしてきました。それがあったからこそ、それなりに一定の教義というものが保存されてきたのかもしれません。人間の誰が正しいとか間違っているとかいうのでなく、ただそのように歴史が流れて現れてきたこと、それはひとつの摂理であったのでしょうか。
私なんぞには、全く分かりません。人間の末席にいるような私は、崇高な神学思想もなければ、読み解く技術も知恵もありません。いったいイエスは、どのようにして、この地上に送られたのでしょうか。父に、「さあ、行ってこい」とでも言われて、背中を押されたのでしょうか。特別に嫌がったり、反抗したりした形跡はないようです。
先に挙げましたが、ヨハネ伝では、その父との関係を特にイエスが強調します。とくに「惜別の説教」と呼ばれる、裁判の直前の場面では、弟子たちへ語る中で、イエスがしきりに父と交わる様子が描かれています。マタイ伝が記した「主の祈り」からも、父なる神への絶対的な信頼が伝わってきます。福音書には、そのような父とイエスとの関係が、余すところなく描かれているように思われます。
強い父子の関係――と、傍から見とれている場合ではありません。キリスト者は、そのような父との関係の中に、実は入れてもらっているのです。その関係の中に入れられたからこそ、「キリスト者」だと呼ばれているに違いないわけです。
本来、神と人との間には、絶対に超えられない隔てがありました。溝と呼んでもよいでしょう。一線を超えるということが絶対にできないのが、神と人間との関係です。人間は死ねば「神」になるとか、甚だしくは生きていながら優れた才能をもつ人を「神」と呼ぶとかいうことは、殊キリスト教にかけては絶対に許されないのです。
しかし、その関係をもつ方を、神は遣わされました。イエス・キリストです。イエス・キリストが、簡単に言えば「贖いの業」を成し遂げたことによって、私たち人間と神との関係がつながることになりました。イエス・キリストの姿がこの地上から見えなくなっても、「聖霊」という姿で、神は依然として、この関係を築くはたらきを続けていてくださっています。
さしあたりイエス・キリストを通じて、私たちは父なる神と結びつくことができました。私たちはその意味で、「神の子」とされたのです。すべては恵みです。
私たちは、神になることはできません。でも、私たちはイエスをひとつの模範とすることができます。神にならずとも、イエスを模範としたならば、イエスが神を父としたように、私たちも神を父と呼ぶ恵みの中に、確かに入れられたことを意味するのです。
大木英夫先生は、父と私たちの関係について、面白い喩えを用いていました。父親が、自分へプレゼントを買え、と息子に小遣いを渡す。子はそれでプレゼントを買ってきて、父親に贈る。……私たちのオリジナルのものを神に献げることなど、できません。私たちは神から先にすべての恵みを贈られています。ただ、それを用いて、神に感謝を献げることになるのです。
身に余る恵みを受けて、人間は、神との関係を確かにものと覚えます。そうして、神に賛美と感謝を向けます。神との関係が与えられることによって、私たちは「神の子」とさえ呼ばれるのです。
◆教会
イエスの従順さ、身を低くして奴隷のように仕えてきたという有様に、思いを馳せてきました。イエスはその道を、十字架にまで歩んだのでした。ここで、少し視点を換えて、エレミヤ書2章の初めのところから、神の言葉を重ねて聞いてみたいと思います。
1:主の言葉が私に臨んだ。
2:行って、エルサレムの人々の耳に呼びかけよ。/主はこう言われる。/私は覚えている/あなたの若い頃の誠実を/花嫁の時の愛を/種の蒔かれない地、荒れ野で/あなたが私に従って来たことを。
3:イスラエルは主に献げられた聖なるもの/その収穫の初物であった。/それを口にする者はことごとく罪に定められ/災いに見舞われる――主の仰せ。
あなたは私に従って来た。エレミヤの時代は、ユダ王国は滅亡の一歩手前でした。エレミヤはこれを語ったとき、まだ現実にユダ王国が攻撃を受けていたわけではないにしても、その先そうなることが分かっている筆者によって記されたと思われます。「カムカムエヴリバディ」の再放送もそうでした。「福音書」もそうでした。そこで「エレミヤ書」もそうなるわけです。先行きが分かった上で、私たちはエレミヤ書も読んでいます。
神は知っているというのです。イスラエル民族が、かつて神に従っていたことを知っています。それは「若い頃の誠実」と呼べるものでした。「花嫁の時の愛」がそこにありました。しかし、いまは違います。神に背を向けたからこそ、いま風前の灯となっているのです。エルサレムの人々に、エレミヤは突きつけます。あの初めの愛を、忘れてしまったのだ、と。
それは誰の姿と重なりますか。過去のイスラエル民族だけですか。それとも、いま、そう言われても仕方がないような者がいますか。私は自分自身をそこに見ます。あなたは、あなた自身を見ることがありますか。
きっと、それを感じ取りたい。それは、私がいつも意識したい視点でした。しかし今日は、そこにもうひとつ、自らを問うべき存在を、ここに提示したいと思います。それは、「教会」です。建物ではなく、クリスチャンと称する人々の集いのことです。クリスチャンの集まりです。
教会は、神に従ってきたのでしょうか――。
かつて従った歴史はあるでしょう。それは、西欧の教会のことだけを言うのではありません。いまあなたの属する教会、私たちが属する教会です。以前に、熱心に神を求め、共に祈り、賛美した教会です。しかし、どこからか、身を低くすることから頭をもたげて、大きく膨れてしまってはいないでしょうか。しかも、心は膨れながら、体は惨めに痩せ細っている、というようなことはないでしょうか。
◆イエスの姿を
この教会のために、イエスは人間の姿で現れました。
人間の姿で現れ
へりくだって、死に至るまで
それも十字架の死に至るまで
従順でした。(フィリピ2:7-8)
私たちは今年、クリスマスを迎える時期に、このことを中心に置きました。但し、ここにも書いてあるように、従順というのはただそれだけのことではありません。「死に至るまで」そうだったのであり、「十字架の死に至るまで」従順なのでした。
イエスが現れた、そこから先のストーリーは、十字架への道でした。イエスの前には、十字架への道だけがありました。
生まれたときから、人は、死へのカウントダウンを始めている。そのような知恵が世に言われています。シニカルな、あるいは悲観的な考え方であるかもしれませんが、イエスの地上生涯を思うとき、どうしても私たちは、十字架の死に至る道のことを思わざるをえません。
イエスは従順でありました。それは、キリスト者の模範とする道であるはずでした。けれどもいつしか、私の願いを神に聞かせようとしていたような錯覚に陥っていました。自分の幸せだけを神に願うことが、祈りだと勘違いすらしていました。
エレミヤ書は先の引用の後に、ひたすらイスラエルの家を非難します。とことん、まるで救いがないかのように、その非を容赦なく指摘します。だから、いま引用したところで切ると、違う印象を与えてしまうために、通常説教や解説では切ることがない場所でした。しかし、今回そこでぷつりと切りました。そこまでは、イスラエルのかつての麗しい姿が、思い起こされていたのです。神には、かつての良き時代を思い出すところで、一時停止して戴きたいと考えたのです。
私たちもまた、従順だった時期が、きっとあったのてす。それ以上先のことをエレミヤに言わせる前に、一時停止させてもらいましょう。そこから、ずるずると堕ちてゆくようなことのないように、ストップして、立ち止まり、たとえ信仰が長くとも「悔い改め」さえして、神に立ち帰りたいと願うのです。
身を低くした、従順なイエスの姿をしかと胸に刻みながら、この時期を過ごしましょう。