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キリスト者の先輩方

ふと記録の中に、1946年の2月1日に平川唯一の『英語会話』の放送が開始されたというのを見つけた。いまちょうど再放送されている、NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の中心人物である。なにしろ、ドラマのタイトルが、そのラジオ番組のテーマ曲なのだ。
 
再放送は、この3月のラジオ放送百年の時を見越してのものだと思うが、ドラマ自体、素晴らしいものだった。2021年も全部見たし、話もよく覚えているのだが、いままた毎日再放送を観ている。
 
『英語会話』は、平川唯一によって5年間放送された。きっちりと放送原稿をつくり、その通りに話していたそうである。この場で幾度か触れたが、平川唯一はキリスト者である。放送で露骨にそれを出しはしなかったが、さりげなくキリスト教文化を紹介はしていたという。
 
信仰をもつ人物がドラマの主役に出てくるとなると、キリスト教の世界では、それをいくらかの宣伝材料に使うような習慣がある。大河ドラマで新島襄や新島八重が現れたときはもちろん、黒田官兵衛のときでさえ、キリスト教界はかなり騒いでいた。同じ朝ドラでも、村岡花子のときにはだいぶ話題に上っていたのだが、カムカムのときの平川唯一については皆無だった。もったいないことをしたものだ。(なお、平川の次に番組を引き継いだ松本亨(とおる)は、21年間担当した。初めクリスチャンであり宣教師であったが、後に信仰を離れたと記憶している。)
 
1948年の同じ2月1日には、沢田美喜が、混血児救済施設「エリザベス・サンダースホーム」を開設している。「蟻の街のマリア」と呼ばれた北原怜子や、岡山孤児院を創設した石井十次など、社会に光を投げかけたキリスト者について、いまの若いクリスチャンは、どれほど知っているのだろう。あるいは、知ろうとしているのだろう。
 
外国の人であれば、キリスト教文化の中にあるなら、それはクリスチャンの業績かな、と思うことはあるかもしれないが、日本人の中に、こうした世の光とての働きをなした人々がいたことは、もっと弁えてもよいかと思う。へたをすると、賀川豊彦でさえ、もう分からなくなっているかもしれない。
 
ドラマと言えば、来年の朝ドラ「風、薫る」の発表がこの1月に行われ、大関和(ちか)役に、去年の大河ドラマでその名を知られた俳優が決定したことが報道されていた。別の記事に速報として紹介したが、大関和という看護婦の草分けであった人は、キリスト者であった。原作本を私は読んでいたので、そこから脚本を書くならば、教会を舞台にすることは間違いない。その教会の牧師は、植村正久であった。この植村と矢嶋楫子によって、和は看護婦への道を進むことになる。
 
もちろん、名の知れた人である故に、キリスト者としてよい働きをしたのだ、というような言い方や考え方をすべきではない。人々には知られず、世の片隅でただ祈りの生活をした病者にも、神は目を留めておられる。人の誉れは受けずして、神の誉れを受けるキリスト者は数知れずいようかと思う。だが、世の中に輝く先輩方のことは、その大きな事業やスピリットを受け継ぐためにも、私たちクリスチャンは、もう少し関心をもってもよいのではないか。
 
私たちの時代には、中村哲という人もいた。福岡の人間として、誇りに思う気持ちもあるが、このようなことを言い始めると、あの人もこの人も、名前を出さねばならなくなるだろう。今日は、このごろのNHKのドラマで取り上げられた、あるいは取り上げられる、そうした日本人キリスト者の先輩方の名前を、幾人か触れてみるに留まった。

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