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コリント教会に勝っているのか

コリント一3:1-9 
 
「あなたがたはただの人」になってしまったのか。パウロは嘆きます。ここまでも、コリント教会の分裂事情を書いてきました。いま、しばし回復の希望を語りつつも、この後また、教会内の不祥事にも言及してゆくから、パウロの頭の中にあるのは、呆れたという思いばかりであったのかもしれません。
 
キリストを信じたというのは大きなことなのです。それなのに、「ただの人」でしかないとは。それは「肉の人」ということです。赤児に食べさせるよう、噛んで含んだ言い方しかできません。ここまで手紙の冒頭から告げてきたことは、みなそういうものでしかないのでしょうか。これまで説教してきたのも、ずっとこの路線だった、と言うのです。
 
今でも同様なのですから、「相変わらず肉の人」であるあなたがた、それは「互いの間に妬みや争い」があるからです。このパウロが今のキリスト教界を見たら、同じことを言わないでしょうか。手紙の初めに、パウロに・アポロに・ケファに・キリストに、などと教会が内部分裂を呈していることを、いきなり非難していたのを思い起こします。
 
このことを指しながら、再びその有様を突きつけるのです。しかも「アポロ」一人だけで済ませているわけで、アポロの存在をパウロが強く意識していたことが窺えます。このアポロは、「聖書に詳しい」「雄弁家」(使徒18:24)でありましたが、どうやら聖霊を教えることはできなかったようです。
 
しかし、論破することや、イエスがキリストであること言い伝えることそのものについては、長けていたように書かれています。ここでも、パウロが植える役割を果たしたとしたら、アポロはそこに水を注いだのだ、とたとえています。但し、「成長させてくださる」のは神です。人が何もかも完成させるわけでないことを、パウロは弁えています。
 
パウロは、このアポロを決して低く見ているわけではないと思います。それぞれが「神の協力者」なのであり、こうした伝道者によりあなたがたには福音の種が蒔かれました。あなたがたはその土壌です。「神の畑」という良い土にほかなりません。そこに建て上げられる教会が「神の建物」であるはずです。その土地を「信仰」と呼びます。

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