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アブラハム以来のイスラエルの歴史に加わる
詩編105:1-11
イスラエルの歴史を、この詩はうたいます。出エジプトの出来事が大きな意味をもつことは、多くの詩が知らせています。でも案外、アブラハムにまで遡ることは多くありません。まるで出エジプトこそが、イスラエルの初めの歴史であるかのようです。「主の契約」はとこしえに心に留めている、と言います。
それは「アブラハムと結んだ契約」のことであり、「イサクに対する誓い」をも含みます。「私はあなたと共にいて、あなたを祝福する」(創世記26:3)と言い、ペリシテ人の王アビメレクの許で、主から示される地に住むことを約束されたのです。それがやがて「ヤコブのための掟」へとつながり、ついには「イスラエルのための永遠の契約」へと展開します。
「奇跡と主の口から出る裁き」が何であったのか、どんな意味を己れに対してもつものか、イスラエルは心に刻んでいなくてはなりません。「その裁きは全地に及ぶ」というこの神が、イスラエルにはついています。詩人は、誇らしげにこれを告げます。民族の輝かしい財産を掲げて示し、アブラハムの以来の歴史としてそれをうたうのです。
ノアはどうなったのか。あるいはノアの物語は、民族のアイデンティティのためには、もっと後から生まれたものだったのかもしれません。この詩に於いても、アブラハムよりもエジプトに関する歴史の方が長いものです。ヨセフというつなぎ目があるものの、イスラエルがまるでエジプトにルーツをもつかのようです。
しかし詩人が呼びかける民に対しては、初めにあるような、主への賛美からです。「主に感謝し、その名を呼べ」に始まり、諸国民に主の業を語り知らせることを勧めます。主の力と顔を求め、主を誇り、喜べと命じます。「アブラハムの子孫よ」「ヤコブの子らよ」との呼びかけがここにあります。この「主に選ばれた」者の輪に加わりたいものです。