主への祈りの順序
ネヘミヤ1:1-11
ペルシアのアルタクセルクセス王の献酌官であったネヘミヤは、ユダから訪れた客によって、エルサレムの実情を聞きます。捕囚のため、主だった人々はバビロンへ連行されたとされますが、残されたユダヤ人たちは、「大変な苦悩と恥辱」の中にあるそうです。それも悲しいことですが、もっとネヘミヤの心を突き刺すことがありました。
「エルサレムの城壁は崩され、門は火で焼かれてしま」った、というのです。地震や火災などで壊れたり失われたりしたら、町のシンボルたる古い建築物について、現代人も大いに嘆くものです。一人ひとりの救済はもちろん大切なのですが、このシンボルの再建のために寄付が募られます。被災者もまた、それを願っています。
精神的な支えをもまた、人は必要とするのです。ネヘミヤを動かしたのも、エルサレムの町の再建への意志であったのでしょう。「座り込んで泣き、幾日も嘆き、断食をして、天の神の前に祈った」のです。その第一は、イスラエルの人々、つまりは「私たちはあなたに罪を犯しました」ということです。ネヘミヤ自身、「私も」罪を犯した、と言いました。
事はモーセにまで遡ります。そしてこの「僕の祈り」に耳を傾けてください、と祈ります。そして、この「願いをかなえ」、「憐れみをお与えください」との祈りは、「今日」をターゲットとします。「どうか今日」との願いは強いものです。日付による「今日」ではないとする考え方もありますが、実はこの日、願いは叶えられているのでした。
憐れみも与えられています。神はこれを聞いています。神はこれを実現する道をもうつくっています。時間はその「時」をもう実現していました。神の時間はもう決定されています。私たちはそれを祈ることができるかどうかです。祈りは己れの罪の問題から始まっています。まず主を称え、己れの罪を告白し、主の言葉を握ってからなのです。