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ペンテコステの認識を改める

使徒2:1-4 
 
聖霊降臨日は、ユダヤの祭儀に合わせて、ペンテコステと呼ばれますが、さて、それでいいのか。初穂の祭りから七週目、シャヴオットと本来呼ばれる祭りです。七週の祭りとは、小麦の収穫を祝うものです(出エジプト34:22)。ユダヤの三大祭の一つです。この祭りは、ユダヤ教とキリスト教とで一致した祝祭であるようにも見えます。
 
この日はまた、モーセが十戒を授かった日だとも考えられています。さらに、ルツがボアズに見初められる時であるとも言い、ユダヤではルツ記が読まれる習わしになっているそうです。ルツ記は、イスラエル民族が異邦人と結びつく物語です。イエス・キリストの誕生は、この異邦人ルツの血の混じった系図の末にあったのでした。
 
新約聖書で聖霊が降ったのがこの日とされ、福音宣教の始まりとなったことは、この背景に基づくものなのかもしれません。使徒言行録は、ひたすら異邦人へ福音が拡がっていく過程を描くのです。また、小麦の収穫の祭りであることから、一粒の麦が豊かな実を結ぶというイエスの救いも、ここに重なるとみるのは如何でしょうか。
 
すると、ずいぶんと多くの象徴がこの日に重なることになります。大胆な言い方をすれば、聖霊が降ったということなど、ほんの付加に過ぎないかもしれないのです。教会の誕生日だなどという捉え方がよくなされますが、それは本当は傍流でしかないのかもしれません。ルカの記した当時、旧約聖書こそが権威あるメシアの預言の書であったのですから。
 
旧約聖書がこの日に与える意味が、イエスという姿で実を結んだ、ということこそが、教会サイドの主張したいことだったとすると、イエスのもたらした救いの福音が、世界へ向けられていく根拠となった場面が、こうして描かれることにこそ、意味があったに違いありません。私たちは、ペンテコステの捉え方を改める必要があるような気がします。
 
教会が生まれたとか、教会に注目しましょうとか、そういうことが最大の問題ではないと思うのです。激しい風のような音がして、炎のような舌が現れた場面でも、風や炎ではなくて、音と舌こそが中心です。つまり、他国の言葉こそが中核にあるわけで、ルカは徹底して異邦世界への福音の拡大を描いているのだと見るべきではないでしょうか。

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