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鳥逃して、未来取り逃さず。『君たちはどう生きるか』感想 

骨を土に埋め、石を積む。


数々の文明が興っては崩壊してきたが、いつも残るのは石である。
しかし、石をじっと見てみると、
私たちの世界も同じ元素で構成され、
私たちを取り巻く大気もまた分子である。


記憶はときに心を傷つける。
すべては石になり、忘却されるはずだった。
しかし、ベンヤミンが言うところの"歴史の天使"たちの声に耳を傾けると、大地が続く限り、ある時点での記憶から進めなくなった民が居る。私もまたその一人であった。


集団の記憶が書き換えられることさえある。歴史は、皆が嘘をつけば伝説になってしまう。
世界を飼い慣らそうとすればするほど、人間は自身を自食することになる。(フロイトは、夢の中に出てくる建物=その人の身体、とした。)


鳥逃して、未来取り逃さず。


小さい時、上野動物園で見た、太古から生きているような鳥の眼。(種類不明)
特攻隊が飛んでいった光が丘の公園では、カラスに「ぼく、キョロちゃん」と言われた。
学生の時、大人たちの目に何も映っていないことに気づいてしまったこと。

鳥を被った人は、私たちが人の皮を被ったトリ頭に成り下がっていることを警告する。

インコの王≒AIジーザス(プログラムの、プログラムによる、プログラムのための賢王)
人間の文明(積み木)を一瞬で再現・複製しようとしたが、崩れ、その次の瞬間に文明の基盤(机)自体を破壊した。
AIは最初、飼い慣らされた姿でこの世に現れた。(AIは未来から来たのかもしれない。)

与えられたもので満足しているうちは、そいつはそいつじゃない。
他人が判断した善。他人から与えられる善。
誰かの思惑にコントロールされている限り、人間ではない。
人畜無害でハトみたいなやつら(世界に疑問を持たないやつら)は芸術には出てこない。私たちは他人に迷惑を掛け、生きているだけで暴力であることをどこかで認めなければならない。
既存の世界に同化し切ることの危うさ。現実世界で何かになりきり、振る舞うことの無意味さ。世界が終わったらその人たちも終わってしまう。翼が折れるまで飛び続けて死ぬペリカン。

秩序や反復に陥らずに均衡を保つこと。
個々が全く違うかたちでも、揺り戻しの引力を信じてみる。


自灯明


主人公は最初、主人公を演じていた。
お母さんを助けに行くのに、軍服に着替える。
ナツコは、死んだ姉の代役。
メタファーの世界で起こっていることは、現実と表裏一体。
どこの世界にいても、自分の舵は自分で取るしかない。自分の中に灯火を持て。

マヤ・アステカの鳥人間、
死の島、クリスティーナの世界、
キリストのメタファーとしてのペリカン、
百年の孤独・ミラベルと魔法だらけの家のマジックリアリズム、ポポロクロイス物語。

人が作り出したイメージの中に似たものがあったとしても、ハヤオを必要としない世界にはなり得ない。

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