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「まず事実をつかめ、それから思うままに曲解せよ」

まず事実をつかめ、それから思うままに曲解せよ。
   マーク・トウェイン(小説家)

「20世紀の名言」


自分があまのじゃくな性格だということは自覚している。

いや、実際にはそこまであまのじゃくではないのかもしれない。

照れ隠しや強がりや相手を傷つけないための気遣いとして、強気な発言をする性格を「あまのじゃくだな」と言われたことが嬉しくて、自分で気に入って、それを演じているだけかもしれない。


それに、臆病者だ。

これは大げさでなく、他の人より怖がりだと思う。

他の人が何とも思わないことでもプレッシャーを感じたり恐怖を感じる。

だから、自分がその役割を担わないでいいように、都合のいい言い訳を使おうと頭を働かせてしまうことがある。


さらに、悲観主義が強く出てしまうことが多い。

だから、「まぁ、とりあえずやってみるか。なるようになる。」となる前に動き出せず、「できれば渡らないでいいように壊れてくれ」とひそかに願いながら石橋をガンガン叩くタイプだ。

できるだけ悪いシチュエーションを想定して、トラブルが起こった時に慌てたり、誰かに期待通りの言葉をもらえなくて落ち込んだりするのを避けようとする。


こんな性格なので、「事実をつかむ」前に「曲解する」しがちだ。


これが自分の中だけで完結するだけならいい。

でも、他人を巻き込んでしまうこともあるので、反省しないといけない。

特に恋人がこの被害に遭ってしまう。


きっと、さっきの性格に「アダルトチルドレン」というのもプラスされてしまうんだろうな。

わざと相手が怒るようなことを言ったり困らせることを言って、事実や本音を引き出そうとしてしまう。

「本当は相手もこんなこと思ってるはずないけどな。むしろ思ってたらどうしよう。」と思いながら、「こう思ってるんでしょ」と、期待とは逆のことをきつい言い方で突き付けてしまう。

「そんなこと思ってるはずないでしょ。信じてよ。」と言ってくれるのを期待して、突き付けてしまう。

たいていの場合は、こうやって相手にしんどい思いをさせてしまう。


でも、私が本気で曲解して、自分でそれを信じ込んでしまうこともある。

相手のちょっとした言葉や表情や会話の「間」から、「ん?まさかそんなことないよな」という小さな疑念が生まれ、

相手の反応が曖昧だったり時間が空いたりすると、「え、本当にそうなの?」と焦り、

「そういえばこの前もこうだった」「あの時の間はそういう意味だったんだ」「顔が曇ってた気がするな」と、想像力が異様に敏感になり、

「そっか、そういうことだったんだ」と完全に気分が落ちてしまう。

これも私が誤解しているだけということが多いかもしれない。

冗談を冗談と受け止められていないだけのこともある。


でも、よくよく突っ込んで話を聞いてみると、相手が何かを隠していることもある。

私を思いやっての優しさから隠していることもあるけど、相手の都合で「言いたくないから」という理由で隠されていることもある。

隠すほどのこともないのに、「関係ないと思ったから」と言われて悲しくなったこともある。


だから私の曲解グセが直らないというのもあるけど、それは言い訳か。

感情的になる前に、事実をつかまないとね。

相手を疑うことにはキリがないから、相手を信じるしかないんだ。


…とはいえ、です。

好きという気持ちですべて解決というわけでもないと思うんです。

避けて通れない事実というのもあると思うんです。

いくら楽しい時間を増やしたところで、引っかかるものはスッキリさせないといつまでも引っかかるんです。

うやむやにされると逆に不信感にしかつながらないんです。

建設的な話ができないと、わだかまりが残っていくだけだと思うんです。

まぁ、私ももっと余裕を持てたらいいんですけど。




今年のお盆休みは代休や有休も使って、まとまった期間休みました。

普段は恋愛系の記事は土曜日に書くようにしていたけど、明日から日常に戻ってしまうので、ちょっとリアルタイムなことをnoteに吐き出してしまいました。

今日1日、もう少し咀嚼してみます。


読んでモヤモヤしてしまった方がいたらすみません。



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