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「『なんかこの音楽好きだな』と味わっていく人の方が音楽感性が磨かれていく」
知識を仕入れようとするほど感覚は鈍くなっていく。
「言語的隠蔽」という言い方をするが、言語は感覚を隠してしまう。
例えば音楽でも、この音楽はいつできて、誰が作って、という背景を先に知ってから音楽を聴くというよりも、「なんか分からないけどこの音楽いいな、好きだな」と味わっていく人の方が音楽感性が磨かれていく。
植木理恵
音楽の楽しみ方は人それぞれ。
私は音楽は好きだけど、「音楽が好きです」と言うのは長らく躊躇していた。
周りの人ほど常に流行りの音楽に詳しいわけでもないし、特定のジャンルに精通しているわけでもなく、音楽的に知識があるわけでもなかったから。
でもある時、「音楽好きなんだね」と言われ、さらに「知識から入ってないから羨ましい」と言われた。
その人は音楽をやっていた人で、ギターや音響などの音楽的知識があったので、どうしても分析的に音楽を聴いてしまう癖があるようだった。
私は特定のアーティストは無条件に聴くものの、あとはテレビやラジオで聴いて気になった曲を探して聴くという楽しみ方だった。
「この曲はここがこうだから良い!」ということは説明できない。
でも、確実に好きなポイントはあって、飽きるまで一曲リピートで聴くこともある。
気に入った曲については、作詞家や作曲家、歌詞、作った時のエピソード、アーティストの想いなんかを知りたくなるけど、その曲に飽きるまでは余計な先入観を持ちたくなかったので情報を遠ざけていた。
まずアルバムを通しで聴いて、満喫したら次は歌詞を見ながら聴いて、口ずさみながら聴く。
あとは飽きるまでひたすらそのアルバムをシャッフル機能を使わずにエンドレスリピート。
その人のススメで、noteに音楽記事を載せるのを試みたけど、やっぱり音楽の良さの説明はできず、自分のエピソードで終わってしまう。
「関ジャム」が好きなのは、見事なまでに曲の良さを言葉で語るプロに感心するから。
とはいえ、その人のおかげで、国もジャンルも時代も気にせず自由に聴く自分のスタイルは好きだ。
音楽感性が人より優れているかどうかなんて測れないし、自分が良いと感じたものを好きになるだけで十分だと。
引っ越しを機に、サブスクに切り替えた。
手元にCDがなくても聴きたい曲が聴けるのは便利だ。
発売日にお店に行ったり事前に予約購入したりしなくても、すぐに新曲が聴けるのも便利だ。
今では歌詞も表示されるようになっているらしい。
でも、私は昔のあの不便さが好きだったな。
TSUTAYAにアルバムを借りに行ったり、それをMDにしたりPCに落とし込んだり、自分だけのオリジナルプレイリストを作ったり。
せっかくお金を出して買ったり借りたりしたのに、すぐに飽きた時に「失敗した〜」となる感じ。
もったいないから、一応元を取るまで多少飽きても意地になってある程度聴き続けるとか。
逆に、手に入れたアルバムにハマって、そこから過去のアルバムまで聴きに行くほどになると嬉しくなったり。
気に入りそうな曲との出会いをラジオに求めるのが、今でも残る楽しみ方かな。
一回だけでは「いいかも」で留めておいて、何回か「またこの曲に反応した」「やっぱり好きかも」を繰り返して、好きな曲認定する。
便利が正解ではないなぁと思ったりする。