見出し画像

「おおざっぱなカテゴリーに着目した『多様性』は、多様性尊重の入り口にすぎません」

「脳の機能が、男女によって違う」という考えは誤りであることが、科学的にわかってきています。

平均的な男性よりも男性的な脳を持っている女性もたくさんいますし、平均的な女性よりも女性的な脳を持っている男性も、当たり前に存在するのです。

一人ひとりにパフォーマンスを発揮してもらい、集合知のパワーを生み出すにはどうすればいいかを考えなくてはならない時代に、性別だけでは解像度が低すぎると言わざるをえません

性別、国籍、年齢、障害の有無などの、ある意味おおざっぱなカテゴリーに着目した「多様性」は、多様性尊重の入り口にすぎません目指したいのは「一人ひとり」に着目した多様性です

おそらく、多様性の重要性は、みなさん既に理解されていると思います。方向性はそのままに、少し認識を変えていただくだけでよいのです。「男性の得意と女性の得意を、役割分担して働きましょう」ではなく、「あなたの得意と私の得意を、役割分担して働きましょう」とアップデートするだけの話なのだと思います。

   村中 直人(臨床心理士、公認心理師)

プレジデントウーマン


多様性の重要性は理解してるけど、何をどうしたら多様性を尊重していることになるのか、しっくりきていない。


私の会社でも、「多様性」とか「ダイバーシティ」というキーワードをよく耳にするようになった。

それは、性別、国籍、年齢が違う人とも分け隔てなく付き合い、障害のある人には手を差し伸べようというもの。

少数派や配慮の必要な人が社会から排除されないように、肩身の狭い思いをしないように、取り残されないように、気配りする。

それはそれで間違っていないと思うし、10年前や20年前と比べると、生きやすくなった人たちもいると思う。


でも「それだけでいいのか?」と感じている。

配慮を必要としないとされている人にだって、苦手分野があるし、長時間労働に抵抗はあるし、配慮してほしいことだってある。

でも、逆差別とまではいかないけど、「私は配慮が必要な人間です」と言える人が勝ち、みたいな雰囲気を感じてしまう。


例えば、育休制度や時短勤務も浸透してきて、子育てしながらでも働きやすい社会になっていると思うけど、それが当たり前になりすぎて、他の社員への感謝が薄い人も増えてきている気がする。

別に「申し訳なさそうにするべきだ」と思っているわけではない。

でも、「私、時短なんで(これ以上は仕事しません)」と割り切りが良すぎる人を見ると、「休んだり早く帰る分の仕事を、他の人がカバーしていることを分かってるのかな?」と思ってしまう。

私は子どももいないし、家庭も持っていないので、子育てしながら働いている人たちの事情や気持ちは分からない。

だから、これがひがみだったら恥ずかしいな。


それから、発達障害や精神障害といった、目に見えない障害もどう対処したらいいのか分からない。

「こういう障害を持っています」と職場の人にオープンにする人もいる。

これも昔と比べると大きな進歩なんだと思うけど、具体的に「どういう特性があるの?」「どう接したらいいの?」ということまでは分からない。

「これは苦手だけど、これは得意」「こういう時はこうなるので気をつけてほしい」というところまで共有できると、具体的に多様性を尊重していることになっていくんじゃないかな。


これから少しずつ、解像度が上がっていって、一人ひとりが尊重される社会になっていくんだろうな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?