「おおざっぱなカテゴリーに着目した『多様性』は、多様性尊重の入り口にすぎません」
多様性の重要性は理解してるけど、何をどうしたら多様性を尊重していることになるのか、しっくりきていない。
私の会社でも、「多様性」とか「ダイバーシティ」というキーワードをよく耳にするようになった。
それは、性別、国籍、年齢が違う人とも分け隔てなく付き合い、障害のある人には手を差し伸べようというもの。
少数派や配慮の必要な人が社会から排除されないように、肩身の狭い思いをしないように、取り残されないように、気配りする。
それはそれで間違っていないと思うし、10年前や20年前と比べると、生きやすくなった人たちもいると思う。
でも「それだけでいいのか?」と感じている。
配慮を必要としないとされている人にだって、苦手分野があるし、長時間労働に抵抗はあるし、配慮してほしいことだってある。
でも、逆差別とまではいかないけど、「私は配慮が必要な人間です」と言える人が勝ち、みたいな雰囲気を感じてしまう。
例えば、育休制度や時短勤務も浸透してきて、子育てしながらでも働きやすい社会になっていると思うけど、それが当たり前になりすぎて、他の社員への感謝が薄い人も増えてきている気がする。
別に「申し訳なさそうにするべきだ」と思っているわけではない。
でも、「私、時短なんで(これ以上は仕事しません)」と割り切りが良すぎる人を見ると、「休んだり早く帰る分の仕事を、他の人がカバーしていることを分かってるのかな?」と思ってしまう。
私は子どももいないし、家庭も持っていないので、子育てしながら働いている人たちの事情や気持ちは分からない。
だから、これがひがみだったら恥ずかしいな。
それから、発達障害や精神障害といった、目に見えない障害もどう対処したらいいのか分からない。
「こういう障害を持っています」と職場の人にオープンにする人もいる。
これも昔と比べると大きな進歩なんだと思うけど、具体的に「どういう特性があるの?」「どう接したらいいの?」ということまでは分からない。
「これは苦手だけど、これは得意」「こういう時はこうなるので気をつけてほしい」というところまで共有できると、具体的に多様性を尊重していることになっていくんじゃないかな。
これから少しずつ、解像度が上がっていって、一人ひとりが尊重される社会になっていくんだろうな。
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