「価値を増やす人にならなければなりません」
なんだか「価値」とか「存在意義」という言葉に反応しやすくなっているな。
久々にASIAN KUNG-FU GENERATIONの『サイレン』が聴きたくなって、アルバム『ソルファ』を聴いたのがきっかけかな。
そのアルバムの収録曲の1つ、『リライト』の歌詞の中で「存在の証明」という言葉が使われている。
そしてほぼ同時期に聴いていたのがBUMP OF CHICKENの『sailing day』。
この曲の歌詞にも「存在の証明」という言葉が使われている。
好きでよく聴いていた曲で、どちらも「存在の証明」という言葉が使われていて、強く印象に残っていた。
その時期は、
「働くってどういうことだろう」
「自分は社会にどんな貢献ができるんだろう」
と考えることが多かったので、響きやすかったんだと思う。
「私にしかできないことって何だろう」
「自分の名前が残るようなことをしたい」
「どうすれば私がこの世に生きていた証を残せるんだろう」
と、青くさいことを真剣に考えていた。
「青くさい」と言っているけど、当時はそういう年頃だった。
今は今で、視点は違えど、似たようなことを考えている。
そういう性分なのかもしれない。
どうせなら「価値のある人間」になりたい。
社会に恩恵をもたらす存在になりたい。
周りに良い影響を与える人になりたい。
目指したことはないけど、シンガーソングライターになってみたかった。
私もそうだし、たくさんの人が音楽に元気をもらい、勇気をもらい、希望をもらい、救われる。
存在証明の最たるもののひとつだと思う。
それは無理だとしても、自分の好きな人たちのように、誰かにとって特別な存在になりたい。
大切な人のことは無条件に好きだし、私が知りうる限りの愛情を返したい。
親や恋人からもらった「愛されているという実感」を、私の大切な人たちに感じさせることのできる人になりたい。
壮大な話になってしまったけど、職場でも「価値を増せる人間」になりたい。
他人のアイディアをあたかも自分のもののように披露して評価される人にはなりたくない。
最低限のことだけやって、細かいところは他の人任せで仕事をする人にはなりたくない。
自分さえ困らなければ情報共有はいらないという人にはなりたくない。
自分の立場や理解度でしか話ができない人にはなりたくない。
恐怖でしか人を動かせない人にはなりたくない。
自分にも反省点はたくさんあるからあまり偉そうに言えないけど、嫌なことを人に押し付けて、都合のいいところだけ搾取する人間にはなりたくない。
「ダサい」「クサい」「要領が悪い」「生きづらそう」という見方もあるかもしれないけど、それでもいいや。
価値なんてそう簡単に増やせるもんじゃない。
また歌詞をじっくり味わいたいな。
noteにも書けるといいな。
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