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「好きなものは適正な距離をとらないと嫌になることもある」

好きなものは適正な距離をとらないと
イヤになっちゃうこともあると思う
   バー『シーホース』店主 マチルダ

「セブンルール」

大学で演劇を始めてダンスやパフォーマーの道に進んで、限界を感じて諦めたものの、自分の好きな新宿ゴールデン街に居続けたいという思いがあって、バイトや雇われ店長を経て、自分のお店を持つまでに至ったというマチルダさんの話。




彼女は、自分から言いたいお客さんじゃなければ、名前も、職業も、住んでいる場所も訊かないという。もし一見さんが他のお客さんに「仕事、何?」と訊こうとすると、止めるくらいだという。

私が昔、知り合いに、その人の馴染みのバーに連れて行ってもらった時、「この店には10年以上来てるけど、ここのバーテンは、自分の名前も、どういう仕事してるかも、どこに住んでいるかも訊いてこないから、いい店だ」と言っていたことを思い出した。

当時は、なんでそれが「いい店」になるのか理解できなかった。
でも、今はそれなりに理解できる。

肩書、特に職業が分かると、それだけでその人を判断してしまいがちだ。


学生だった当時は、肩書の重さに鈍感だった。でも、社会人になった後、転職前に「無職」になった時に、その重さに気付いた。次の仕事が決まるまでは、本当に「何者でもない」存在だった。肩書がないことが恐怖だった。でも、しばらくしたら居心地の良さも感じたけどね。

逆に、立派な仕事に就いていれば居心地いいとも限らない。美容室とかマッサージとかに行って、30分とか2時間くらいおしゃべりしないといけない時に、相手にとって自分の仕事が「すごい」仕事だった時に、仕事以外の話をしても、「賢いですもんね」「やっぱり頭のいい人は違いますね」とまとめられてしまうのは、それなりにストレスを感じる。

別に私自身のすべてを知ってもらいたいと思っているわけではないけど、職業のイメージだけで私の人格を勝手に作り上げられてしまうと、何を言っても無駄な気がしてしまう。


バーにしても美容室やマッサージにしても、気分転換して仕事のストレス発散をしたいという気持ちもあるし、非日常を楽しみに行っているという気持ちもある。

「お仕事は何されてるんですか?」「この辺にお住まいですか?」「今日はどこから来られたんですか?」は、話のきっかけとして便利で、ごく自然に用いられる質問だ。

でも、私のように自分の情報をオープンにするのに抵抗がある人間からすると、そこをあえて訊いてこないというのは、ありがたいし、思いやりのある気遣いだなと思う。


ちなみに私をそのバーに連れて行ってくれた知り合いは、生活の拠点は長いことアメリカに置いて、お盆や正月に地元に帰ってくる。今は疎遠になってしまったけど、私の知る限り、無職だったこともあるし、今はどうか分からないけど、誰もが知るアメリカの有名大学で働いていた。自分のことをぺらぺら話すタイプでもないし、そのバーのお客さんとの距離の取り方が居心地よかったのだろう。




マチルダさんについては、人やものとの距離をとても大事にしていて、いろんな場面で細かい気遣いをしているエピソードが他にもたくさんあった。

ご自身のお店『シーホース』は、「一見さんお断り」ではないけど、誰もが入りやすいような入り口にしてしまうと、悪酔いして空気を乱す人が来てしまって、常連さんたちが居心地よくいられなくなってしまうのを避けるために、看板を控えめにして、あえて入りづらいようにしているという。

あと、お客さんの生活リズムに合わせて、自分も朝8時には起きるようにしているという。1日の終わりに自分のお店に飲みに来るお客さんに対して、1日の始まりのテンションで接してしまうと、お客さんが疲れてしまうからというのが理由らしい。


家族にしても、友人にしても、恋人にしても、仕事仲間にしても、お店の人にしても、人との距離感はとても大事だと思う。

相手にとって居心地のいい距離感を作ってあげることができるのが理想だけど、私はまずは自分にとって適正な距離感を見極められるようになりたい。




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