「人生とは自分探しをすることではない。人生とは自分を創ることである。」
「自分探し」って、時に小ばかにされたりする。
いつまでもずっと「自分探し」をしているのは、確かに考え方を変えた方がいいかもしれない。
でも、若い時の「自分探し」は悪いことではないと思う。
私自分が、20歳前後の時期に「自分のことを知りたい」「理想の自分を見つけたい」という思いが強かったからかもしれない。
いや、勝手に過去形にしているけど、最近始めたこのnoteでも「理想の自分を見失ってる」という類のことをよく書いているか。
ただ、昔ほど「理想の自分が分からないからどう振舞ったらいいか分からない」ということにはなっていない。
私にとっての「自分探し」の成功体験は、大学の冬休みを利用して行った、海外の語学学校での経験だな。
現地へは1人で行った。友達と一緒に行ったこともあるけど、単独で行った時の方が学びが多かった。
20歳前後の私は、「理想の自分」を探し続け、それが更新されるたびに、自分を「リセットしたい」と思っていた。
だから、日本を離れて1人で誰も知らない新しい土地に行くことは、自分をリセットする絶好の機会だった。
そこで出会った「新しい自分」は、こんな感じ。
クラスメイトの発言のバランスを見ながら発言して、先生が授業を進めやすいような雰囲気づくりに貢献する。
性別も年齢も国籍も問わず、生徒とも先生とも学校スタッフとも、話す機会がある人とは人懐っこく話す。
先生のジョークに真っ先に笑う。
日本にいる時の自分は、当てられないかぎり授業で発言なんてしないし、人見知りも激しくて、先生がおもしろいことを言っても控えめに笑ってた。
「新しい自分」と出会えたのは、語学学校のクラスメイトや先生との相性が良かったのもある。話しやすい人が多かったし、先生の笑いのセンスが好きだった。
先生本人にそれを伝えると、「sarcasmな笑いが好きなんだ」と言っていた。
次の記事にもあるように、日本語にするとちょっと意味合いが変わってしまうんだけど、私もこの手の笑いがおもしろかった。先生のsarcasmの度合いもちょうどよかったんだろう。
よく考えたら、私の目指すツッコミは、このsarcasmのユニークさを求めているな。
うん、いいことを思い出せた。
その語学学校での経験は、大切な宝物になっている。
そこでの自分がとても好きだった。
海外の語学学校という環境は、日本の学校や職場という環境とは違って、期間限定だし、人間関係のしがらみもないし、責任もない。気楽なもの。
だから、ストレスの大きい日本での環境では、好きだった自分そのままではいられない。
でも、「自分にあんな一面があったんだ」「あの自分が好きだったな」「こういう自分でいられたら理想だな」という収穫があった。
いつまでも「自分探し」を続けていても見つからなければ、キリのいいところで「自分はこういう人間だ」「これが自分らしさだ」と認めてあげないといけないと思う。
そもそも「自分探し」なんてしなくても、自分に満足している人もいるだろうし、自分に興味がない人もいるかもしれない。
私自身の経験でいうと、「自分探し」をしたからこそ、「こういうタイプの人になりたいな」という指針にできていると思う。
自分のこと、もっと好きになりたいな。
語学学校で出会ったみんな、元気かな。
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