「僕はスピンよりも高さで魅せたい。自分で考えた式と答えの中で、人と違う滑りで上を目指したい。」
金メダルを獲得して、各放送局でインタビューに答える様子を拝見しているけど、やっぱり落ち着いている。
口数は多いわけでもないし、淡々とした口調だけど、それでいて愛想が悪いわけでもない。時折笑顔も見せてくれる。
地元・新潟の子どもたちのメッセージ映像を観た後、「いつも一緒に練習してる子たちなんですよ」と話す表情は、見てるこっちまで表情が緩んだ。
そんな平野選手の試合中、実況や解説の人が何度も言っていたのが、平野選手の滑りの「高さ」だった。
「これは高い!」「カメラに収まりません!」と絶賛しきりだった。
平野選手の存在は知っていたけど、今回のオリンピックで初めて本人が「高さ」にこだわりを持っていたことを知った。
体操の内村航平選手は「着地」にこだわりを持っていたし、フィギュアスケートの高橋大輔選手の「ステップ」も世界一と評される。
トップレベルのスポーツ選手たちのこだわりや美学は、応援したくなるし、その美しさにはどうしても感動してしまう。
オリンピックのメダリストたちの美学とは種類もプレッシャーも違うけど、一般の人にだって、自分のこだわりや美学はある。
私にも、いくつか仕事に対するこだわりがある。
前職の時は割と意識してたけど、最近は忘れかけていたこだわり。
忘れかけていたといっても、こだわりは簡単には消えないようで、意識としては忘れかけていたけど、無意識の中には残っていた。
それが、「見て分かるようにする」こと。
「作業の見える化」というものです。
可視化するのは当然で、そうしてない方がマズいのかもしれない。
逆に、可視化することのデメリットもあるのかもしれない。「現状で何の不都合もない」という人にとっては、作業が増えてめんどくさいことかもしれない。
でも、仕事はチームでやることが多いので、進捗状況や作業内容を個々のメンバーが別々に管理していると、漏れや重複といったミスが発生する。
コミュニケーションを図ることで、そのミスは防げるのかもしれない。
ただ、「これ、どこまでできてる?」「これ、どうやるんだっけ?」と、毎回訊くのはお互いに時間がかかる。
ベテランと新人のように、人によって理解度も違うから、「こんなこと、いちいち訊いてくるなよ」「なんでちゃんと確認しないの?」「前にも教えたよね?」などというコミュニケーションエラーも発生する。
マニュアルや進捗管理表もないまま仕事が機能している現状には、「みんなすごいな」「私ができないだけか」と思うこともあるけど、できる人だけに合わせた仕事のやり方はよくないんじゃないかなと思う。
自分ができないのを言い訳にしているのかもしれないけど、実際に困ることがあるし、他に困っている人もいる。致命的とはいえなくても、小さなミスはたくさん起きている。
それを「あの人は仕事ができない」とバカにするのは、違うんじゃないかな。その優越感は間違ってるんじゃないかな。
何か決定的な出来事がきっかけというわけではないけど、日々のそういう違和感が積もり積もったせいか、前の会社に勤めている時に、業務の見える化にこだわっていた。
今の会社も、マニュアルや進捗管理表はほとんど存在していない。あっても形骸化していて、機能していない。
そんなのはいらないという人たちに無理強いしてまで使ってもらう気はないけど、自分なりに「こういうのがあったらいいな」というのを作り始めている。
それを運用させて、「これ、なんかいいね」と思ってもらえると嬉しい。