「誰もが自分自身の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる」
「アンコンシャス・バイアス」という言葉を耳にする機会が増えた。
「無意識の思い込み」ということらしいけど、百人百様、それぞれのアンコンシャス・バイアスを持っている。
そのこと自体は仕方ない。
それは「常識」ということなんだろうし、「常識」という尺度がないと、全体がまとまりにくい。
だけど誰かにとっての常識が、他の人にとっては常識じゃないこともあるし、間違った認識であることもある。
そのズレがだんだんと社会で認識されるようになって、「偏見」や「決めつけ」といったものはなくしていこうという流れになってきている。
モノの見方を変えるというのは難しい。
配慮しようとすると、それが過剰な配慮になることもある。
変えた方がいいところに気付けないこともある。
ある人に対して気遣いのある言葉をかけても、別の人への心遣いが欠けてしまうこともある。
立場の弱い人がこれまで諦めていたことを、声を大にしてアピールできるようになったのはいいことだけど、周りに過剰な配慮を強いるほどアピールする人も出てきてしまう。
アンコンシャス・バイアスを是正しようとしても、そこにも個人の常識がどうしても反映されるから、一筋縄ではいかない。
私自身のことで言うと、社会的には私は配慮の必要がない立場。
育児をしているわけでもないし、残業の制限もないし、子どもが理由の休みも必要ない。
「女性が輝けるように」といって早めに昇任させられる可能性も高い。
でも私はそんなことは望んでいないし、いくらでも仕事ができるほどの体力もない。
私が「女性だから」「結婚してないから」「子どもがいないから」は事実ではあるけど、特に結婚して子育てもしている女性からの言葉が、心ない言葉に聞こえる時がある。
聞こえないふりをしたり、笑ってごまかすしかないし、優越感を持つのは自由にして構わないけど、傷ついていることがあることは知ってもらえるとありがたい。
…そうは言いつつ、私自身も気づかないうちに誰かを傷つけることを言ってるかもしれないから気を付けないとな。