「一緒にごはんを食べる人は、好きな人でありたい。」
乳がんを経験し、一度は「死ぬかもしれない」とまで思ったことがあるという栗原さん。
母親も弟も日本を代表する料理家という彼女にとっては、味も大事だろうけど、誰と食べるかも大事にしているみたい。
食事への思いは人それぞれ違うし、その思いの強さも人それぞれ。
私の実家は味に対するこだわりが弱い。外食することはあったけど、「おいしいものを食べに行きたいから」ではなく、「特別な日だから」とか「作る暇がないから」とかそういう理由だった。
大学生になってバイトを始めた時に、バイト先の年上の店長が、いろんなお店に連れて行ってくれたんだけど、友達ともまだ「安くておいしい」がお店を選ぶ基準だったから、店長の「おいしいものを食べに行きたいから」というだけの基準が、私には新しい価値観だった。
大学を卒業して出会った人は、味にうるさい年上の人だった。ご両親も美食家でよく外食すると言ってたし、本人も自分でも料理する人で、彼女に手料理を作ってもらってもストレートにダメ出ししてしまって別れたこともあったらしい。
最初はおいしい店に連れて行ってもらえるのが嬉しかったけど、私にお店を選ぶように言ってきたり、お店を出た後に毎回「味、どうだった?」と訊かれるのもプレッシャーになり、だんだん億劫になっていった。
その人はスナック菓子もカップ麺もファストフードも基本的には食べないと言っていた。「1日3食しかなくて、生きているうちにあと何回食べられるかと考えたら、1食も無駄にできない」と言っていた。
自分の中にはまったくない価値観で、ここまで味にこだわる人がいるのかと驚いた記憶がある。
私はというと、おいしいものを食べたいとは思うけど、甘いものが大好きだし、カップ麺も食べたくなる。「手の込んだ料理や人気店の料理じゃないと無駄な食事だ」と思うタイプでもない。
そして私も、一緒にごはんを食べる人は、好きな人であってほしいと思う。
嫌いな人やどうでもいい人とごはんに行くくらいなら、一人で食べる方がいい。ごはんや飲みに行く回数が少ないとかわいそうだと思う人もいるけど、一緒にいて楽しいとか幸せだと思えない人との回数を増やしたって、ごはんに行く回数が多くても嬉しくない。
コロナの影響もあって、気の合う人とごはんに行く機会が限られているのがとても残念。
家族ともまたゆっくり食事したいな。やっぱりお母さんの手料理が食べたい。自分の家族にしか通用しない会話のノリもなつかしい。きょうだいもみんな親元を離れてしまったから、あと何回、家族でごはんを食べられるんだろう。これは歳をとるごとに考えてしまう。
私は「限られた回数のうち、一食も無駄にしたくない」ということではないけど、「一食でも多く好きな人と楽しい食事ができたらいいな」と思う。