「傷から自由になろうと決めて努力する場合に限り、傷は何らかの意味を持つのだ」
好きという気持ちで距離を縮めた夫婦や恋人同士の関係でも傷はできる。
夫婦や恋人同士だと、優しく思いやりに満ちた愛情たっぷりの、時に他の人には聞かれたくないようなくすぐったくて温かい言葉をたくさん送ったりもらったりする。
でも、夫婦や恋人だからこそ、他の人には言わないようなひどいことを言い合って、意図的に相手を傷つけ、自分が傷つけられることもある。
そういう時には、「もうこれ以上傷つきたくないし、傷つけたくない」と別れを選びたくなることもある。
でも、結局は好きという気持ちが消えていない限りは一緒にいることを選ぶ。
同じことで傷つけ合わないように意識して、それを避ける努力をする。
毎回うまく避けられるわけではないし、シチュエーションが違えば、避けたつもりが別の地雷を踏んで爆発することもある。
そのたびに「あー、もう無理」と匙を投げ出したくもなる。
それでも好きという気持ちを優先するのであれば、また立ち上がって前に進もうと努力する。
私も今の人とそうしてここまで来ている。
傷というのか、障害というのか分からないけど、まだ乗り越えないといけない壁がある。
それを乗り越えないと先に進めないけど、どうにかするのは彼で、私はその壁の見方を変えて、彼が動いてくれるのを待つことしかできない。
なかなか動かないのは、自分に対する甘えであって、私への想いが薄いわけではないという。
でも私からすると、その理屈を素直に受け取れず、悲しくなってしまうことがある。
昨日は、離婚して子どもと離れて暮らす男性noterさんたちの記事をいくつか読んだ。
会えなくなってしまった子どもに対する父親の想いや、無邪気な子どもの反応に胸を締め付けられ、複雑な気持ちになりながらも、ちゃんと前を向いて歩こうとしている姿勢に応援したくなるのと同時に、彼もここまで早く辿り着いてほしいと思った。
もうすでにしんどい喧嘩は何度も繰り返した。
私はそのことは後悔していない。
その過程でできた傷が、少しでも意味のあるものになりますように。
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