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「努力することを大切にしているし、馬鹿にしないし、軽んじないし、置いていかない」

(土屋太鳳は)器用な人ではない。「このくらいの準備で大丈夫だろう」と現場に挑む人もいれば、めちゃくちゃ準備してもそれでもなお不安だと言いながら現場に入る人もいる中で、彼女は間違いなく後者だし、丁寧に生きているというか、適当に生きていない感じがする。
いい意味で不器用。彼女にしかできない。
   佐藤健

「日曜日の初耳学」

(佐藤健は)努力することを大切にしているし、馬鹿にしないし、軽んじないし、置いていかない。
   土屋太鳳

「日曜日の初耳学」


土屋太鳳さん。ほんわかしていて、順風満帆で恵まれた人生を歩んできたんだろうなと思っていた。

でも実は、幼少期は姉弟の中でコンプレックスを感じていて、不安も感じやすい人で、不器用な人だと知って、親近感を持った。


佐藤健とのエピソードを聞いて、前職で仲良くしてくれた人とのことを思い出して懐かしくなった。


私も自他共に認める不器用で、不安を感じやすい。

そんな自分が嫌な時期もあったけど、前職で仲良くしてくれていた人が佐藤健みたいな人だった。

不器用な私のことをいつも肯定してくれた。

別に誰も「鬱陶しいな」とか「迷惑だな」なんて思ってなかったかもしれないけど、そう思われてるかもしれないと勝手に感じて落ち込んだ。

努力することはダサくてかっこ悪いと思われる気がして、情けなさを感じながら準備していた。

でもその人と話していると、不器用は悪ではないと思えたし、努力することに集中できたし、むしろ楽しめていた。

うまくいけば労って褒めてくれたし、失敗しても労って次への後押しをしてくれた。

私はどうすればいいか、その人はどうしてきて、今はどうしているのかを話すのがとても楽しかった。


今ではお互いに仕事を変えてしまい、話す機会が減ってしまってとても寂しい。

転職した今、また自分の不器用さに直面している。

なんとか大きなトラブルもなくやり過ごしているのは、ある意味で「効率的」だけど、楽しさは感じにくい。

不器用ながらも地道に努力して、それを応援したり寄り添ったりしてくれる人がいないのは、努力が足りていないだけだ。

転職して職種が変わったことと、年齢を理由にしているけど、「適当に生きている」自覚がある。

人生を楽しむためにも、「丁寧に生きる」ための努力をしたい。





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