「努力することを大切にしているし、馬鹿にしないし、軽んじないし、置いていかない」
土屋太鳳さん。ほんわかしていて、順風満帆で恵まれた人生を歩んできたんだろうなと思っていた。
でも実は、幼少期は姉弟の中でコンプレックスを感じていて、不安も感じやすい人で、不器用な人だと知って、親近感を持った。
佐藤健とのエピソードを聞いて、前職で仲良くしてくれた人とのことを思い出して懐かしくなった。
私も自他共に認める不器用で、不安を感じやすい。
そんな自分が嫌な時期もあったけど、前職で仲良くしてくれていた人が佐藤健みたいな人だった。
不器用な私のことをいつも肯定してくれた。
別に誰も「鬱陶しいな」とか「迷惑だな」なんて思ってなかったかもしれないけど、そう思われてるかもしれないと勝手に感じて落ち込んだ。
努力することはダサくてかっこ悪いと思われる気がして、情けなさを感じながら準備していた。
でもその人と話していると、不器用は悪ではないと思えたし、努力することに集中できたし、むしろ楽しめていた。
うまくいけば労って褒めてくれたし、失敗しても労って次への後押しをしてくれた。
私はどうすればいいか、その人はどうしてきて、今はどうしているのかを話すのがとても楽しかった。
今ではお互いに仕事を変えてしまい、話す機会が減ってしまってとても寂しい。
転職した今、また自分の不器用さに直面している。
なんとか大きなトラブルもなくやり過ごしているのは、ある意味で「効率的」だけど、楽しさは感じにくい。
不器用ながらも地道に努力して、それを応援したり寄り添ったりしてくれる人がいないのは、努力が足りていないだけだ。
転職して職種が変わったことと、年齢を理由にしているけど、「適当に生きている」自覚がある。
人生を楽しむためにも、「丁寧に生きる」ための努力をしたい。