「成功は保証されてないけど、成長は保証されている」
人たらしで好感が持てる中居さん。
人の話を聞くこともできるし、自分の言葉で自分の考えを伝えることもできる。仲間を大事にするようだし、人が喜ぶことをさりげなくできるし、ふざけることもできる。
褒めると照れくさくなっているところがまたかっこいいなと思います。
さて、何かを経験すること、特に新しいことや苦手なことに挑戦することは、「成功は保証されてないけど、成長は保証されている」ことだと思う。
それなのに私は、何かを経験する前、「成功」は欲しいと思うけど、「成長」は後から結果的についてくるものだと思って、意識していないかもしれない。
でも、「成功」してもしなくても、「成長」は必ずついてくる。
「成長は保証されている」のに、そのことを無意識に当たり前だと思っているのかもしれない。
目の前に初めて取り組まないといけないことや苦手なことがあると、私はまず、「嫌だな」「逃げたいな」という感情を持ってしまう。
できることなら自分がやらずに済ませたいし、「私じゃないといけないのか?」「本当は別の人がやるべきことなんじゃないか?」「そもそもこれはやる必要があるのか?」などと、逃げる口実を探そうとする。
それはそれで、曖昧になっている役割分担を見直すきっかけになるし、業務改善につながることもあるので、黒い感情も役に立つこともあるけど、正直、結果論だ。
考えた結果、自分がやるにしても、早く終わらせて一刻も早く関わりを断ちたいと思ってしまう。
そのくせ「成功」はさせたい。
この逃げ腰の姿勢がダメなんだろうな。
やるならやると覚悟を持って挑めばいいのに、抵抗感が強ければ強いほど、興味がなければないほど、仕事の仕方が雑になる。
でも、どうせやるなら、ちゃんと向き合った方がいい。
その方が、やり方を工夫しようという意識も湧いてくる。
改善すべき点も見えてくる。
そのうち、のめり込んで楽しくなってくる。
最終的には、仕事も早く終わるし、結果もついてくる。
結果が伴わなくても、新しいスキルが身についているだろうし、苦手なことが1つ減る。
つまり「成長」だ。
私に足りないのは「何にでも興味を持つこと」だろうな。
あと、めんどくさがらずに、まず始めてみることだ。
仕事に限ったことではなく、本を読むときや映画やドラマを観る時もそう。
読み始める時や、観始める前は、億劫な気持ちがある。
自分で読みたいと思って買った本でも、登場人物や状況設定を知るまでに挫折することもある。でも、そこを乗り越えると、その本の世界観に引き込まれていく。
映画やドラマも、ハマるものは何度も繰り返し観るくらい好きになるのに、新しいものに対しては「おもしろくなかったらどうしよう」なんて考えて、再生するまでに何日もかかることがある。でも、自分の好みに合っていると、「もうあとこれだけしか残ってない。この世界観が終わってしまう」と名残惜しさを感じる。
新しい本を読む、観たことのない映画を観る、行ったことのないお店に行く、食わず嫌いをせず食べる、初対面の人と話す、苦手な仕事をやる、ゼロから何かを企画する。
新しいことや苦手なことから逃げたくなるのは、自然な衝動だと思う。
でも、やらないといけないなら、できるだけ興味を持って、ちゃんとやる。
そのうち、楽しみを感じるようになって、できることが増える。
「成長」
何歳になってもできることだ。