【一周回ってシンプルisベスト】

私はシンプルが好き。
こだわりとかではなく
オシャレの極みと思うわけでもなく
ただ、落ち着く。

と言っても、
インテリアとか デザインとか ファッション、 持っているアイテムなど、
目に見えるもののシンプルさだけを指すものではなくて
生き方だったり 考え方なども多分に含む大きな意味合いで、
大抵の場合、シンプルが落ち着く。
歳を重ねて、より明確にそう思うようになってきた。


例えるなら、趣味。
若い頃はあれこれと目の前に広がるいろんな趣味のワールドに目移りしたり、趣味を本気で楽しんでいる人を羨ましく思ったりしていた。
趣味を楽しむキラキラした人に対する憧れがあった。
ちょっと興味があることに手を出してみては
突き詰めるほどのめり込めない自分にがっかりしたり と、
トライアンドエラーの繰り返し、
模索の日々だった。

今でも興味が湧いたものには手を出してみるぐらいの心がけはあるものの、続かなくてもそれはそれで楽しいし、そんな自分も好きだと感じる。

今はっきりと心に据えている【趣味】【好み】と呼べるものは

【歌うことが好き】
【考えを巡らせることが好き】
【言葉が好き】
【人の心に触れる瞬間が好き】

ぐらいのものだ。
地味。なんとも地味。
プロフィールの【趣味】の欄があったとしても
書くのをためらう程度に地味。笑
何より趣味と呼ぶには漠然としすぎているし。

でもしっくり来るのはこれだし、
これからもあまり変わらないであろう、
マイ殿堂入りはコレだと感じている。

例えば服。
元々が流行りに敏感ではなかったものの、
いっちょ前に【アレを足せばもう少し良くなるかも知れない】などと
自分の色を探ってみた時期もあった。
しかし、どうにもこうにもしっくりこない。
それは私にセンスがないからだ。と長年思ってきたけれど、(それは間違いではない。笑)

今は結局無地の黒Tにワークデニム といった
どシンプルな格好をしている時が一番安らいでいる自分に気づいている。
(流石に、人前に出るときぐらいは少しは気を使う。
そんなときは決まってなんだか疲労が増す。笑)


例えば、他人のことを見る時
おしゃれであるとか、賢い であるとか、
〇〇が上手い人…などの表面上の情報ばかりに目がいっていた若い頃に比べ、
今はいろいろ見て感じたあとに、最後に見える、その人の芯の部分の印象
たったひとつ

「傷ついている人だ」
「寂しがっている人だ」
「優しい人だ」
「愛のある人だ」

それを見定めるのが好きだ。

憶測が正解しているかどうかはわからない。
そしてそれは意外と表面上の印象とは真逆の事が多い。

その見定めたたった一つの名札を基準にその人と接していくと、
かなり仲良くなったり、
後に化けの皮が剥がれるのを予測していたかのように当たっていたりする。

その結果、私はこっそりと、
【私の読みは、意外と的中率高いんじゃないかしらん?】
などと、本当に本当にこっそりと自信を持っていたりする。


私が「一周回ってシンプルが好きだ」と感じるに至った経緯が いくつかある。

その代表例が、
雨の日の徒歩通勤時の装備のこと。

幼い頃は多少の雨なら濡れるほうが好きだった。

でも、いつの間にか
自分が濡れたくない
荷物を濡らしたくない
と、思うようになり、
年齢を追うごとに徐々に雨の日装備が膨れ上がっていった。

基本の装備は傘。
 そこに、服を濡らしたくないがために
合羽の上下。
 リュックも濡らしたくない。防水カバーを付けるか、リュックごとおさまる合羽にするか、真剣に悩む。
 靴も 靴下も濡れるのが嫌になり、トレッキングブーツや長靴にこだわってみたり。
 もうここまできたら、傘を持つ手の甲が濡れるのでさえ嫌な気がしてくる。
 強風に煽られた雨粒でメガネが濡れたりすると、腹が立って仕方がない。

 そうまでしても、会社につく頃にはカッパの中の汗と湿気で服はベトベト…足先もじわっと濡れている。

どんどんと装備が増え、
支度に時間がかかるようになってから、
徐々に、しかし確実に、息苦しくなった。

で、ある時全部やめようと思い立った。

基本の傘だけは残し、
ジーンズはロールアップでたくし上げ、
足元はサンダル。
リュックだって、多少の雨なら胸の前で抱えれば良い。
あまりに雨がひどいなら、スマホや財布や通帳などのものだけをリュックの中でビニール袋で包めば良い。
その代わり、リュックの中にタオルが一枚と、洗濯した靴下を一足。
会社についてから、タオルで拭き上げて靴下を履けば良い。
濡れたリュックは、いい機会だ。帰ったら洗おう。

この境地に到達してからは
肩の荷が下りたばかりでなく、雨が好きになった。
いや、もともと好きだったことを思い出した。
今では水たまりは避けるものではなく、軽くニヤつきながら足を踏み入れるアトラクションだ。


おとなになるに連れ、
頭の中の情報は蓄積していく。

時代が新しくなるに連れ、
便利なものが次々と出てくる。

新しいモノやコトをいち早く取り入れることこそが
現代人の醍醐味であり、スマートさだ。と。
それができない者は、時代遅れでダサくてイケてない。と。

そう、錯覚させられているだけなのでは?

そう感じて、全てをシンプルに巻き戻してみたとき、

いや、難しくゴテゴテと考えあぐねたその先の、
新しくも懐かしいシンプルさに辿り着いたとき、【あぁ、私の心地よい場所は、ここだったのか】
と感じられて、幸せになった。

元々幸せだったのに、
いろいろと 着込みすぎて 足しすぎて 元の姿を忘れていた。

だから私はシンプルが好き。

好きな人には好きと言う。
可愛い人には可愛いと言う。
嫌いな人には………嫌い…と言っても意味はないので、お世辞にも好意的な言葉は一切投げかけない。

人生、皆、気がつけば棺桶の中であろう。
下手な見栄や、他人の評価に振り回されて
消耗している暇はない。
ましてや、その【評価】が
【自分の脳内で作り出した他人からの評価】なら
なおさらだ。
もっと自分らしく楽しんで良いはずだ。

そう思えるようになってから、私は自分のことを好きだと言えるようになった。
ごく最近の話だ。

自分の本当の心地よさを追求すると
自分のことが好きになる。
そんなシンプルなこの世界が私は大好きだ。

さあ、命ある限り楽しもう。
どの瞬間も人生は素晴らしい。
悩んでいた時代の記憶すら
今では愛おしく感じるのだから。

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