自分褒めって大事。 ~乗り鉄とバギーとママと私~
片道1時間ほどかかる病院へ向かう地下鉄の車内。
いつもならもう少しマシな混み合い具合なはずの車内は
どこぞで煙が出たとかでダイヤが乱れているからなのか、妙に混んでいた。
その沿線の割と端っこ側の駅から乗り込んだ私は、先頭車両の、さらに先頭側の隅っこゾーンに落ち着くことに成功し、
《あぁ、ラッキーラッキー。これで安泰👍》
と胸を撫で下ろした。
目的地まで数百円で連れて行ってくれる乗り物には、ダイヤが乱れようが、いつもより少し混んでいようが、ありがたさしか感じない。
(これが一分一秒を争う要件だったとしても、身を委ねるしかない以上、心を波立てたところで意味はない。)
身を落ち着けた場所にも、特にこだわりがあったわけではない。
先頭車両なのは、乗り継ぎが楽な位置がそこだっただけ。
隅っこがありがたいのは、壁に背中を押し当てていれば難なく立っていられるから。
座席に座れなくても、ここならあまり疲れない。
私のいたって合理的な都合に運が味方しただけだった。
電車が市街地に向かって数駅進んだ頃、
バギーに乗った2歳ぐらいの可愛い女の子を連れたママが私の斜め前にやってきた。
どうやらもう一人、バギー幼女のお姉ちゃんも連れていたようだったが、
混み合った車内、まとまりのある布陣は取れなかったらしく、
少し離れたお姉ちゃんにそこで大人しく乗っていなさいと指示を出している。
私は、バギーの中の女の子が
知らない大人たちが作るそそり立つ壁に囲まれて、気分が悪くならないだろうかと眺めていたが、
案外平気らしく、ふんわりした雰囲気をまといながら触れそうな近くの布(誰かの服や、小柄な女性の臀部など。笑)に手を伸ばしては
ママに無言で阻まれていた。
女の子のかわいらしさと、ママの大変さと、
2人が繰り返す静かな攻防を眺めながら、
ほのぼのしていた。
するとその戦いの背後から一人の男性が現れた。
少し低めの背丈に、黒くそこそこ膨らんだショルダーバッグを斜めがけにした、眼鏡にマスクで少しペタッとした短髪の、特にこれと言って特徴のない風貌の男性だった。
もしも私に絵の才能があったなら、モンタージュでも描けるんじゃないかと思えるほどに記憶に残る《特徴のない男性》を、
なぜここまで記憶に残すことになったのかは、
男性の趣向と行動に由来する。
男性は、いやにまっすぐに先頭側を見ていた。
込み合った車内の状況など意に介さずといった調子で、私の左側にわずかに空いた隙間に少しふっくらした身体をねじ込もうとしているかのような雰囲気を醸し出しながら、少しにじり寄ろうとした。
私がその時に気になったのは、男性の肩からかかったバッグだ。
前しか見ていない男性の意図が一瞬分からなかったが、ふと気がついた。
私が今乗っている電車は少し変わっていて、
地上を走る私の最寄り駅から市街地へ向かう間に、地下鉄にナチュラルに移行していくというシステムの沿線。
今はまだ地上を走っている。
そして、私が立っている場所は、ベスポジ中のベスポジ、運転士の真後ろ。
スクリーンは降りていない。
乗り鉄ってやつか?と、やっと理解した。
しかし、そんな男性の望みよりも何よりも、そのカバンが気になる。
バギーに乗る女の子の、ガードに乗せた可愛い手に、下手すれば身体に、顔に、
その鞄が押し付けられそうになっている。
ママはそれに気付いていて、静かにバギーのガードを握り自分の手でカバンの圧を受け止めて耐えている。
私は、私の横に空いた、しかし子供一人分も空いてはいないスペースを、あえて狭くしてみた。
もしかしたらそれによって諦めた男性が、自分の鞄の所業とママの奮闘に気づくんじゃないかと期待した。
その試みの結果は無駄に終わった。
男性は一心に窓の向こうだけを見ている。
数秒悩んだが、もう仕方がないと思った。
男性に、場所を変わろうか?あなたのカバンが子供に当たる。と提案した。
男性は私の言葉の後半はおそらく耳に入れていなかったと思う。
私が話し終わる前にムズムズと動き始めていた。
すぐそばにいた無関係の乗客の方には申し訳なかったが、一瞬迷惑をかけながら乗り鉄と場所をチェンジした。
その後の乗り鉄男性はひたすら前だけを窓に張り付くように眺めて、数駅先で降りていった。
その後は、少し減る乗客とそれ以上に乗ってくる乗客の波に何度か揺られながら、
それでもふんわりと、そそり立つ壁の布やカバンのチャームに興味を示す女の子と視線で遊んだり、ママと少しだけ言葉をかわしたりした。
ママと私が少しだけ言葉をかわしてからは、
バギーの女の子は私に笑顔もみせてくれた。
とても穏やかで賢い女の子だと思った。
かわいいね いい子だね
と思わず言葉をかけていた。
(ママと、離れたところで埋もれているお姉ちゃんにとっては、絶対そうではないだろうけど)
非常に楽しく幸せな時間を過ごした。笑
市街地の中枢の駅でその母娘たちとは文字通りバイバイしたが、その後数時間経ってもまだ私の心が温かい。
この温かさは、《誰かが褒めてくれるわけではないけど、いいことしたなぁ…》という自己満足だ。
この自己満足の唯一の被害者は、乗り鉄男性と場所を入れ替わる時に私に身体を擦り付けられた男性一人ぐらいのものだろう。
なんだ。まぁ、許してくれ。
大義のための小さな犠牲を被ってくれた彼のために、今後の幸せを祈っておこう。
いい大人になると、なかなか日常の中で褒められることはない。
であれば、自分で自分を褒めてしまえば良い。
私はとても良いことをしたね。いい子だね。笑
過去、
私がバギーに乗った息子と共に、遠く離れた地からやむを得ず電車に乗ろうとした時、
あまりの電車待ちの人数に、あまりのタイミングの悪さに、
例えばバギーを畳んだとしてもコレは無理だと諦めて駅を出てタクシーを拾った私。
財布の中を見ながらどこで降ろしてもらおうか考えを巡らせた私。
あの時の私を、今日の私は守ってあげたような、そんな気になった。
今日はいい日だった。
明日もいい日になるだろう。
自分を褒めながらニヤニヤと考える。