ミュージカルの稽古ピアノのはなし【前編】:ゲスト 宇賀村直佳さん
ミュージカルに関わる方々に、これまでの歩みや仕事について伺う長編インタビュー企画『Into the Musical』。Vol.1のゲストは稽古ピアニストの宇賀村直佳さんです。
ミュージカルの作品づくりにおいて重要な役割を担う稽古ピアノ。しかし、稽古場がメインのポジションだけに、その仕事振りが観客の目に触れる機会はそれほど多くはありません。そこで、Vol.1−3では稽古ピアノの具体的な仕事内容についてさまざまな角度から迫っていきます。
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・1-5 宇賀村直佳さんに10の質問!
・1-4 ミュージカルの稽古ピアノのはなし(後編)
・1-2 ライフストーリー(後編)
・1−1 ライフストーリー(前編)
■ 宇賀村 直佳(うがむら なおか)プロフィール
国立音楽大学卒業後、青年海外協力隊に参加。
2年間ザンビアの大学に音楽講師として派遣される。
帰国後は、数々の舞台で稽古ピアニストを務める他、ライブやイベント、ミュージカルでの演奏活動も行っている。
稽古ピアニストとしての主な参加作品に、『ミス・サイゴン』『レ・ミゼラブル』『エリザベート』『Tootsie』『VIOLET』『ベルサイユのばら~半世紀の軌跡~』『Endless SHOCK』などがある。
【1】 稽古ピアノとは?
稽古ピアノは、ミュージカルなどの稽古においてピアノを演奏し、時にオーケストラやバンドの役割も担いつつ、主に音楽面で作品づくりを支えるポジションである。(作品の規模によっても異なるが、1作品につき1〜3人が現場に入る。)
宇賀村さん「具体的には、歌稽古で歌のメロディーを単音で弾いて役者に渡し、立ち稽古ではオーケストラの代わりに演奏して、最後にオケに渡す。初日までの過程を一緒に作りながら見届ける仕事です」
(※以下、「 」内は宇賀村さんのコメント)
宇賀村さんが稽古ピアノに臨む際の大まかな仕事の流れは下の図の通りだ。しかし、これはあくまでも一例で、その内容は作品や稽古の進捗などの諸条件によって変動する。このため、稽古ピアニストには、その都度、現場で起きることに対応するためのさまざまなスキルと柔軟性が求められるのである。
「稽古ピアノの仕事内容は一言では言えないものがあるので、その現場の中で自分がどう動くかは地道に学んで身体で覚えていくしかないんです」
※補足
❹ 歌入り本読み: 動きはつけず、台詞・歌唱・ト書きを含めて脚本を音読する稽古。(台詞・歌は役者、ト書きは演出助手などのスタッフが読む場合が多い。)
❽ 場当たり: 役者の立ち位置、役者・舞台セットの動線、照明、音響、衣裳替え等、舞台上・裏を含むあらゆる段取り・きっかけを確認(調整)するための稽古。
【2】 稽古ピアノの役割
多様かつ複雑な舞台作品づくりの過程において、稽古ピアノが関わる行程は多岐に渡る。
そこで、この章では、その中で3つの行程をピックアップしていただき、稽古ピアノが担う重要な役割の一部について具体的にお話を伺ってみた。
★ 演奏する音を選ぶ
どの音を拾うか
まず、オーケストラやバンドの演奏を、稽古場でピアノのみで表現するにあたって重要なのが、演奏する音の選択だ。この作業は、稽古開始前の譜読みの段階(前章の図1❶参照)で行った上で、稽古中に調整していく場合が多い。
「たとえば基本は"ブンチャ、ブンチャ"でも、それ以外のフレーズをあわせて弾くことで豊かになる。とはいえ、時に3〜4段にも及ぶピアノコンダクター譜(※1)に書かれた全ての音を弾くのは無理なので、どの音を拾うかが大事になってきます」
さらに、この拾う音選びは、実は振付にも大きく関わってくる部分だという。
「振付師が特定の音に振りを当てていたり、逆に"その音があるなら・・・"と振りを思いつく場合もあるので、そんなさまざまな事情も踏まえて検討します。新人の頃、先輩が"あなたが頑張ってそこを弾くなら、私も弾くわね"と揃えてくれた時はすごく嬉しかったですね」
(1)ピアノコンダクター譜:オーケストラのスコアをピアノ1台で演奏するためにまとめられた楽譜。
★ 求められたキーにその場で移調し、演奏する
また、宇賀村さんが特に集中力を使うのは、役者が歌う曲のキーを決める作業だ。
キーは、台詞と同じ(または近い)声で歌えること、長期にわたる公演でも声帯に過度な負担がかからないこと、オーケストラやバンドの編成(楽器によっては出ないキーがあるため)など、その都度、さまざまな条件を鑑みて慎重に検討されるという。
そして、その際に不可欠なのが、用意された楽譜をすばやく移調し、求められたキーで演奏する稽古ピアニストの存在である。
「キーは、1曲の中で一番高い箇所、低い箇所を役者さんに歌ってもらい、歌唱指導や音楽監督の方がトータル的に判断します。移調については、音大でコードネームに一切触れてこなかったので最初は本当に大変でしたが、今ではコードがない譜面にもその場で書き込んで対応しています。でも、この作業は未だにヒヤヒヤしますね」
キーに関しては、ブロードウェイやウエストエンドなどからのいわゆる輸入作品の場合は予め指定されている場合がある。しかし、最近では海外の作品でも変更可能なケースが増えたそうだ。
「立ち稽古をする中でキーの変更を希望する役者さんも多いですね。もとと違うキーの動画を役者さんが見つけてくることもあるから、海外でもその辺は緩くなってきているのかも。
もちろん作曲家がイメージしたオリジナルキーが一番美しいけれど、作品としてみた時には、そこに無理に声を合わせるのも違うのかもしれません。
その点、日本のオリジナル作品では、役者の声域の中で当て書きができるのでいいですよね」
★ チェイサーやBGMの仮作曲・演奏
そして、より柔軟な対応が求められるのが、立ち稽古中に急遽、チェイサー(場面間の繋ぎや出演者の登場・退場等に用いる音楽)やBGMの長さが調整されるケースだ。中でも追加される場合は、当然ながらその分の楽譜は存在しないため、演出家から"とりあえず何か弾いておいて"とオーダーがあれば、その場でメロディーを作って演奏することもある。
「その場合、音楽に自分の色を入れるのは絶対に駄目。ふわっとさせておいて、後で"こういうイメージで、この長さのものが欲しいと言われたので、仮にこんなことをやっておきましたがどうでしょう?"と音楽監督に伝えます。でも、結果、そのフレーズが採用された時は嬉しかったりもしますね」
演者やスタッフのインスピレーションの源ともなる音楽をピアノ1台で奏でながら、キーや曲の長さなど、現場で生じるさまざまな音の調整にも瞬時に対応する。
稽古ピアニストは、繊細な感性と安定したスキルで多方向から作品づくりの現場を支える存在なのだ。
【3】 稽古ならではの醍醐味
長年ミュージカル界に身を置く宇賀村さんは、稽古ピアノ以外に、公演の本番でも演奏を任されることがあるという。しかし、同じ作品の演奏でも、その意識は両者で全く異なるそうだ。
「稽古ピアノでは舞台で行われていることの中にいるイメージですが、本番ではオーケストラのアンサンブルが大事。神経のあるところが全然変わります」
そして、「本番で完成したものをお届けすることも素晴らしい仕事」だと感じながらも、彼女がより惹かれるのはやはり稽古場だ。
「音取りをしていたところから、動きがつき、気持ちが乗る。お客さんに拍手をいただくまでの過程に、よりやりがいを感じます」
トライ&エラーを繰り返し、時に良い意味でぶつかり合って一つの作品を作り上げる。その過程の濃密さは、ある意味、そこに携わる人のみが味わえる醍醐味と言ってもいいだろう。
「職種が違っても、同じ目標を持つ仲間と苦労や喜びを体験して、濃いドラマを作れるというのはいいものですよね」
"学校の先生みたいだね"
一方、初日が近づくにつれ、徐々に手が離れていくのも稽古専任のスタッフの特色だ。
「出演者から"学校の先生みたいだね"って言われたことがあるんですが(笑)、本当にその通り。
まずはオケ合わせの時に、ほっとしながらも巣立っていく寂しさを感じます。初日の後も、あとは見守るしかないという寂しさと喜びを覚えて…翌日まで余韻でふわっとしているんです。でも、そのふわっと感も嫌いじゃないんですよ」
前作の余韻をほのかに宿したまま、次作の譜読みへ。新たな作品に向けて、舵は緩やかに切られていく。
稽古ピアノのはなし【前編】、お読みいただきありがとうございました!次回【後編】では、稽古ピアノに臨む際の宇賀村さんのこだわりに迫ります。どうぞお楽しみに♪
【企画・編集・撮影: Tateko】
※記事、写真(図)の無断転載はご遠慮ください。
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