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【無料】あと158日:立川吉笑のラジオ・エピソードゼロ
12月25日
2014年10月、入門して丸4年を迎える秋、TBSラジオで冠番組をさせてもらえることになった。プロ野球中継のオフシーズンのお試し枠。天下のTBSラジオで自分がメインで1時間のラジオ特番をやらせてもらえることに震えた。毎週木曜はこれまでお世話になった案件や番組について書いていて、毎度のことだけど、入門4年でこの状況にいられたことは俯瞰視するとあらためてとんでもないことだとわかる。一般的には「ようやく前座が終わって二ツ目昇進か~」というようなタイミングだ。当時は本当に自分が良い落語家にならないと師匠から受けた恩を仇で返すことになる、もっと、もっと、と切実に、ガムシャラに動いていたからそれが当たり前だと思っていたけど、どう考えても信じられないようなキャリアを積ませてもらっていた。
確かクライマックスシリーズか日本シリーズの結果によっては放送枠が野球中継に変わるため、いずれは放送されることになるがそれがいつになるかは現時点では分からない、というような条件を最初に伝えられていた。
そういえば多分同時期に、ギャラクシー携帯のWEB広告のオファーが舞い込んだけど、イケイケだった当時の僕は「いずれiPhoneの仕事を受注すると思うので、ギャラクシーのものは出られないです」とお断りした。そしてそれは本気でそんな風に考えていた。考えられない尖り具合だ。そのギャラクシーの仕事は横にいた笑二に繋いだ。程なくして新宿駅の構内にズドーンと大きな広告が表示されているのをみて、僕は大人気なく嫉妬した。そして今後は自分に舞い込んできた仕事は全部受けようと誓ったりもした。尖っているけど、根っこの弱すぎる部分は消えないから両極端に自分が振り回されて、その上で思っているようには落語界で認められていない実感があって、でもちゃんと面白いことはやっている自信もあって、と、そんな風に揺れ動きつつヒリヒリした毎日を送っていたからお酒を飲むと爆発していたのだろうと、これを書きながら思った。色々危ないタイミングはあった気がするけど、よくぞまぁなんとか活動を継続してこれたものだ。
話は戻って、当時の僕はそんな具合でもう自分の周りに豪風が巻き起こっている感覚があって、きっと野球は最短で決着がつき、自分の番組が放送されるのは間違いないと信じ込んでいた。そして結果は、片方のチームが4連勝して最速での放送が決まった。
(調べたらHPのバイオグラフィーに、2014年の動向が残っていた。そうだ、ここに書いているように当時は圧倒的な躁状態で、もうとんでもない熱量を纏いつつ日々を過ごしていたのだった)
単発特番はもちろんレギュラー化に向けたオーディションの場の意味合いもあると理解していたから精一杯喋った。たぶん色々な角度からその時自分が持っている色々な手札を出して出して出したのだと思う。
と、こうやってかつての仕事を書くことは自慢に思われるかもしれないけど、そんなことは全然ない。結果的に今の自分は、自分の望んでいた理想の形で活躍できているわけじゃなくて、まだまだ発展途上の最中にいる。もちろんそれは好きで選んだ居場所じゃなくて、目指している場にただただ到達できていないだけだ。
この特番ラジオはその象徴のような仕事で、結果的には同時期に同じ枠を担当された伯山兄さんの番組がレギュラーとなり、そこからの快進撃は周知の通りだ。つまり伯山兄さんと同じ打席にはこの時立たせてもらえていた。そこでカキーンとホームランを打てればひょっとしたら僕の落語家人生もまた違う軌道を描くことになっただろうけど、結果的にはそうはならなかった。
こうして木曜日の過去案件の振り返りをしていると、2016年くらいまでの自分の勢いはとんでもない。それは紛れもない事実だ。そして結果的には与えられた仕事に地力が追いついてこなくて、思うように結果を残せなかった歴史でもある。「あとは自分が結果を出せば道は拓ける」というところまでは到達できているのに、思うように結果が出ないのはもしかしたら一番辛いことかもしれない。だって己の実力不足を棚に上げて「今に見てろ…!」とただ現状に不満を抱いて何かのせいにすることができないのだ。打席には立たせてもらっているのに、単純に自分の実力不足で結果が伴わない。それは大失敗という感じじゃなくて、いつも及第点くらいしか取れない感じ(そのジレンマはいまだに拭えないでいる)。その事実はなかなかきついものがあったし、コンプレックスにもなった。だって言い訳ができないのだから。
そんなことを繰り返すうちに、2018年頃からちょっと活動の仕方を変えることになった。それは良く言えば目標のリルート、悪く言えば色々なものを諦めることにした、ということ。これはまた別の話だ。