【無料】あと269日:マーケロボ
9月5日
今は社名や提供サービスが変わったようだけど「マーケロボ」というDXツールのPRを落語でやって欲しいという案件を受けたのは数年前のこと。
DXがデジタルトランスフォーメーションの略ということすら当時は知らなかった。そして、生成AIなどもまだここまで普及する前のことだった。
当時の僕は「映像で落語を効果的に魅せる方法」について考えていた頃で、そんなタイミングでこの案件が舞い込んできたことでさらに考えが深まる貴重な機会となった。
この会社は自前で動画編集スタッフを抱えていて(外注せずに自前で機動力高く動画を作れるのは確かに強い気がする)、そのスタッフさんと一緒に作品を作ることになった。
僕は例えば役者さんが落語をやられるのを見て、作家さんが書き下ろした落語を読んで、つまりは落語家以外の方が落語に関わられる様子を見て、そこから「なんで落語家目線で見たら違和感が生じるのだろう?」とその差を認識・解題することで、「落語とは何か」ということの解像度を高めていくのが得意なようで、この時も、落語文脈外の映像作家の方との作業を通して、「ん?」と引っかかったところを、その理由を言語化していくことで、「あぁ、こうした方が落語にとってプラスだ」といくつかの発見があった。
例えば、一般的なディレクターの心理では落語が始まって、喋るキャラクターが変わるタイミングでカメラをスイッチしたくなる。その手前で、マクラから本編に入る瞬間にカメラをスイッチしたくなる。その方が演技と映像を同期させられるし、役が変わったことを明確に伝えることができる。
でもどうやらそれは悪手で、なぜなら落語家は通常カメラのスイッチを使わずにカミシモを切ることでスイッチしている。つまり、落語家がカミシモを切るタイミングに合わせて映像もスイッチしてしまうと、映像上ではカミシモを切った瞬間が映らないことになる。それでは落語家自身によるアナログスイッチングを消してしまうことになるから、効果的な方法としてはマクラから本編が始まった瞬間はそのまま定点で映像を使うことで、逆に落語家のスイッチが明確に移る。そうしておいて、少し実際のカミシモのタイミングとはずらした、例えば隠居さんが少し長いセリフを喋っていたらその途中でスイッチした方が良いのだ。
と、そんなノウハウを自分自身も学ぶことができた案件だった。