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【無料】あと150日:資生堂『花椿』2018年秋号
1月2日
2018年の初夏、資生堂が発行している『花椿』という雑誌で落語の台本を書いて欲しいというオファーが届いた。たぶん渋谷らくごがきっかけになってご依頼頂いたのだと思う。伝統芸能である落語界の中ではどうしても古典落語の雰囲気を纏っていることがドレスコードの仕事が少なくない。そんな中で、こういった何か作る要素を含む外部からの依頼は新作落語を主戦場にしている落語家に届きがちで、それはもちろん嬉しいことだ。
実装できていないことが大半だけどその都度で、ただ落語を作る、落語を演じるだけでなく、何か自分がワクワクできる表現について考えてきた。
そもそもはたぶん二ツ目になってすぐの頃から、読み物としての落語ついて考えるようになった。自分達にとっては資料として速記本の存在意義はとてもあって役立っているけど、一方で読み物として考えたら、やっぱりそこまで「速記本だから面白いね!」というメリットは少ない。だったらそこには読み物としてどういうものが面白くなるのか考える余白があるなと思ったし、実際に色々な切り口から全く新しい落語の台本集を作ろうと考える時期があった。そのアイデアは結局実装せぬまま数年が経過していた。
そして2018年頃の僕は同じような感じで、なんで映像で観る落語は退屈になりがちなのか、について考えていた。速記本のときと同じように、資料として自分達にとってはとても役立つけど、映像作品として考えたらやっぱり退屈に感じてしまいがちだ。そこでの思案の結果、短尺の縦型落語動画に可能性を感じ夜な夜な思索を続けていた。(結果的にこちらもまだ決定的な実装はできていない。)
花椿から「落語台本を書いて欲しい」と依頼を受けたとき、たとえば「化粧品」とか「椿」などをテーマにネタを作ることは容易いし、すでに演じているネタを台本化して提出するのは容易いけど、ただ落語の台本をそのまま掲載されたところで面白みは少なくなるなぁと思った。だったら、読み物としてだからこそ面白く感じられる何か仕掛けを搭載したい、と。そして、その時ちょうど自分の中で熱々だった短尺落語のアイデアとか結びついて、結果は四コマ漫画集のように、ネタのギミックをひたすら羅列する形の表現方法を思いついて、それをそのままの形で実装できた。
果たしてそれを落語と言っていいかは分からないけど、落語に馴染みのない方に向けて、「ぞおん」を台本化したものをそのまま載せるよりも読み物としては明らかに面白いものができた実感がある。
それどころか、これまで自分が世の中に送り込んできたたくさんの表現の中でも相当上位の手応えのある仕事となった。
それから数年経ったある落語会の終わりに、大学生の男性から「花椿の文章が最高におもしろくて衝撃を受けました!」というような前のめりなテンションでの感想を伝えられたことがある。その後も、本当にごくたまに、圧倒的な熱量で「あれ、面白いです!」と伝えてもらえるのがこの案件のことだ。そりゃそうで、自分が読者だとしても「これはやられた!」と嫉妬してしまうような作品となったのだから。
そして今年、このあたりで思案してきたことをもしかしたらいよいよ実装できるんじゃないか、というような仕事依頼が舞い込んでもきた。そう考えたら、実装できないままになっている大半のアイデアを手元に確保している自分の未来は、結構ワクワクできそうだなと思える。