毎日マクラ「ひ」☆ひとり☆
いちばん好きな人数って、やっぱり、ひとりですね。ネガティブにいわれることが多いですけども。
孤独って言葉があって、まあこれは自由だと思うんですけど、この言葉には物凄くネガティブな言葉が続くんで、死をつけると孤独死になりますね。
ナントカ死って言葉がいくつかありますけど、大抵は死に方を指しますよね。転落死とか墜落死とか、滑落死とかがありますけど、孤独死っていうのは死因でなく、死んだときの状態ですね。孤独だろうがなんだろうが、勝手でしょって思いますが(笑)
これだと、孤独が死の原因のような気がしますよ。過労はね、死の原因になるってなりましたが、孤独みたいなものでも死ぬんです。寂しいですよね。
結婚してない人も“ひとり身”っていいますけど、社会的なひとりというのもあるわけですね。どうもこのときの“ひとり”というニュアンスには「死ぬときもひとりなの?」っていう、なんというか死をその裏に隠しているような、そんな気がします。
でも、人間ひとりで生まれてひとりで死んでいくんです。周りに人がいようといまいと、人間というものは、ひとりでしかないんです。決してふたりにはなれない。これはもう人間なんだからしょうがないんですね。
双子だったらどうだろうって思うかもしれないですけど、マナもカナもひとりなんですよ。マナカナとして生まれたわけじゃありません(笑)
宗兄弟だって、別々の人ですよ。茂と猛が一緒にゴールするわけじゃありません、生まれてくる前にふたりになったんですからね。
ちなみにですけど、狩人のふたりは別々に生まれてきました。ふつうの兄弟ですから(笑)
あずさ二号もちゃんと二席とりますね。ひとりでふたり分の座席に座れないですからね。
だから、心中っていうのは本当はできないんですよ。ふたりで死ぬことはできないんです。太宰みたいにズルする人もいるし、信用できないじゃないですか(笑)
落語って芸能が、人がひとりだってのを象徴しているように思えますね。ひとりで、ふたり以上の人物の会話を表現するんです。
究極の一人芸っていわれますが、考えてみれば深いんですよ。あまり考えないようにしてます(笑)
やってることは、独り言と変わらないですからね。落語家になると、独り言も会話調でやっちゃったりして。誰がそこにいるんだよ、と(笑)
そんな落語も、終われば次の人が出る。
「お後がよろしいようで」っていうのは、「次の人の準備が整いました」っていう意味なんですね。後に何もないのに使う人いますけど。しかもそういう人はほぼ100%ドヤ顔をしているという(笑)あれはやめて欲しいですね。
落語では、ふたりの落語家が同時に喋ることはできない。ひとりずつなんですね。
前座さんが座布団をひっくり返すと、前の人の時間が終わって次の人の時間になる。
こればっかりは自分ではできないんですね。誰かにやってもらうしかない。
人と人の間に間があって、ひとりなんだけど、ひとりじゃない。
人間でよかったですよ。