毎日マクラ「に」☆ニーチェ☆
言っちゃいけないことを言っちゃう人って、どうですかね。
この場合の“言っちゃいけない”っていうのは、純粋にダメな発言から「それを言っちゃあおしめえよ」みたいなものまで種類はかなりあると思うんですけど、まあこう、真ん中へんにいる人は絶対に言わないようなことを言う人ですよね。
お笑いがいちばんソコと向き合ってますかね。
毒舌なんてのは、いちばん難しいんですよ。今は本当に難しくなってる。
もともと、毒舌は大変な技術なんですね。
たけしさんがツービートで出てきたときも、反道徳的なネタがワッと受け入れられた、そういう時代の空気なわけですね。空気感がそうだった。たけしさんが“毒ガス”って表現したのも、あれは個人の舌から出たものじゃないと。世間の空気それ自体がガスみたいに毒々しくなったのかもしれない。
毒をやるのはまだマイナーだったところからブレイクしたわけですけど、うちの師匠も言ってますね、「マニアックから天下を獲るのがいちばん強い」って。
最初は「とんでもないなこいつは」と思ってたアーティストが、いつのまにかメインストリームの真ん中にいるようなことって、よくあります。ニーチェのことです(笑)
狙ってたことには狙ってたんでしょうけど、この人は本物になってしまった。
ニーチェって人、ジャンルは哲学ってなってますが、エンターテイメントだともいえる。クセは強いし、口調は強いしで。
この人がいちばん、いじりやすいです。このジャンルのなかでは飛びぬけてます。
いちばん有名な発言が「神は死んだ」ってやつなんですけど、これはもうアウトな感じしますが、薄々みんな思ってた絶妙な段階でコレを言えたんですよね。誰かがコレを言うのを待ってたような状況になっちゃってたっていうか。
これはちょっと好意的に解釈しすぎかもしれませんが、少なくともですよ、自分のあとの時代にはなんとかセーフだろうけど、今はギリアウトかもしれないけど知らない!って感じで。
一部にめちゃくちゃ怒る人がいるのは重々承知のうえでですよ。深夜ラジオだからそういう人は聴いてないだろう、みたいなノリじゃないんですよ。少なくとも、ヨーロッパの歴史とか宗教をすべて相手にする気はあったんですからね。
いやでも、本に書いて出版したってことは、読まれないということも考えていたのかな。拡散力も今のようにはいかないですからね。炎上を狙っても、火の付き方が違う。
それでもですね、この発言のキャッチーさを意識していないはずはなかった。ある広がりをもって、これがひとり歩きして誤解されていくことを、ある意味で信じていたんじゃないでしょうか。
今は、発言を切り貼りしてひとり歩きさせるのはよくないって当たり前に言われますが、異常に拡散していくのが前提になっている現代ならではのことですよね。
それは、正解がひとつしかないようにメッセージが単純になってきている、ということを表してるんじゃないでしょうか。
ネットのない時代は、正解の中に誤解も入っていたんじゃないかという気がしてます。みんながどう考えても、それでよかったんじゃないか、って。これは物凄くロマンチックな想像です。
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