見出し画像

戦国期から江戸初期に日本酒造りの技術が発展した理由 本日の紹介酒は、澤の鶴 特別純米生酛 実楽山田錦 (兵庫県 灘)

応仁の乱が起こった頃の日本の人口と、関ヶ原の合戦頃の日本の人口(画像は応仁の乱wikipediaより引用)

応仁の乱

 応仁の乱の発生時(1462年)前後の人口の目安として、1450年頃の日本の総人口は約1000万人前後だと言われています。その後、関ヶ原の戦いが行われた1600年頃の日本の総人口は1500~1600万人前後と言われていて、僅か150年の間に大きな戦乱の時代が全国規模で発生しているにもかかわらず、人口自体は1.5~1.6倍に成っています。その後、元禄期を経て幕末には人口が3100~3200万人、明治7年には約3500万人、明治42年には約4800万人、昭和15年になると7200万人で、これに朝鮮や台湾を加えれば1億人前後の総人口だったことが予想できます。

戦国時代の合戦って武家だけが合戦をやっていた訳では無い(画像は自由都市堺)

自由都市堺

 戦国時代と言えば主役は戦国大名って話になり、正面戦闘に置いて強いのは武田信玄公だ、北条氏康公だ、上杉謙信公だ、毛利元就公だ、島津義弘公だって話に成りますし、一騎当千の兵って話に成った場合、華の慶次こと前田慶次郎だ、伊達政宗公だ、真田幸村公だって話に成りますが、実際に一定以上の強い勢力と権力、兵隊の動員力、鉄砲の数、ずば抜けた経済力を誇ったのは、浄土真宗本願寺派(一向一揆)であり、その庇護下で大商人を何人も輩出したのが、近江商人や堺の商人、伊勢商人であり、実際に天下を取ったのは、どちらかと言えば合戦に置いては敗戦の目立つ織田信長公であり、個人としての合戦が違う意味で強かった豊臣秀吉公です。また、この時代、村同士でも争いが多く、一般の農民同士でも戦闘は普通にありました。それに大名同士の戦イコール一般の農民からすれば傭兵に行けるので出稼ぎが出来るし勝てば、相手方の作物や財産を奪えるわけですから、実際の戦国の世は学校の教科書とは全く違います。

何故、実際に強かったのが本願寺や織田信長公だったのか(写真はガレオン船wikipediaより引用)

ガレオン船

 では何故、正面戦闘に置いてはイマイチ強くない本願寺や織田信長公がトータルでは戦に勝てたのか、理由は簡単です、商人を徹底的に保護し、港や街道、市を整備し、農業を保護する事で兵糧の確保や初期の農産物加工品(主に酒や味噌)、衣類を始めとする日常品の流通を促進し、商品の品質の向上を奨励すると共に、織田信長公に至っては金銀銅貨の整備を行い、兵隊の強さでは無く国力全体で戦争を行い、戦争を実際に行う際には、まず相手の兵站線から潰しています。(第二次大戦時の帝国陸海軍とは真逆の戦い方が当たり前で卑怯でも何でもありませんし、私には当時の日本政府や帝国陸海軍の勘違いした武士道精神が異常に映ります)

本当の意味で戦争を理解していた豊臣秀吉公(画像は大阪城wikipediaより引用)

大阪城

 兵隊さんを集めるにはどうしなければいけないか?現在の自衛隊員の数は約32万人(人口の0.2%)、応仁の乱発生時で日本の人口自体が、1000万人前後で、それよりも低い人口比率で尚且つ高品質の兵隊を集めないと戦争出来ません。当時足軽と呼ばれたプロの兵隊を呼ぶにはどうしたら良いか、美味しい食事、旨い酒、お金、戦場での芸能、オンナ、全てハイクオリティーで揃えないと現実的な部分で兵隊は来ないし戦争に勝てません。(どことなく飲食店の優秀なアルバイトのリクルート的な部分を感じたりする)そんな事が日本中で行われていた訳ですから、当然、人口は増えますし、市で売られる商品の品質は向上しますから、安土・桃山時代がどことなく華やかなのは当然ですし、多分、日本で一番ハイクオリティーな兵隊集めの条件を満たせたのが秀吉公の軍隊だと思います。

国単位、普通に地球レベルで経済を理解し、経済力で江戸幕府を開いた徳川家康公(画像は歌川広重 画の江戸前寿司)

歌川広重が書いた寿司

 江戸時代初期に置いて、日本銀が世界の流通量の3割程度であった事に関して、現在であればネットが有れば簡単に調べられますが、辞書すらマトモに無い時代に、ある程度そういった事を徳川家康公は、おおよそで理解できていた感じで貿易によって富を増やせる事、ビジネスライクなお金の力で世の中を泰平の世に出来る事を肌で理解できていたようです。(実際に江戸初期の船奉行の向井将監はほぼ設計図無しでガレオン船を2隻建造しています)ここからは、日本酒の話に成りますが、戦国時代に置いては兵隊を集めるための一種の戦略物資であったが故に日本酒造りの技術の進歩に影響を与えた部分が少なからずありますし、江戸初期に置いては、まだ江戸幕府の力が不安定で兵隊を確保するための現実的な部分で安全保障の意味合いで全国の大名が品質の高い酒を造ろうと考えて奈良流の酒造りの技術を導入し、全国に菩提酛を使った酒造りや、南都諸白に倣った初期の酛立て法による寒造りの為の生酛造りの技術が桃山後期から江戸初期位迄の約1世紀間の短時間で全国に広まった事が考えられます。最近、どぶろくについて少し調べましたが、技術的には2段掛けの菩提酛を改良した酛を使った酒造りですが、この造り方基本的に安土時代には確立されていますから、当時としても非常に高い技術を使った酒造りが行われていますので、どの階層に置いても酒は本当の意味で戦略物資だったんだなって思いますし、生きるためには本当に必死で一所懸命になるので技術も進歩するもんだなって思いました。

本日の紹介酒

澤の鶴 特別純米生酛 実楽山田錦 (兵庫県 灘)

主体となる香り

原料香主体、淡い柑橘系の香りと淡いハーブ香、ほのかな根菜系の香有

感じた香りの具体例

炊いた白米、ヨーグルト、マシュマロ、白桃、和梨、スダチ、甘夏、スペアミント、クレソン、稲穂、ミネラル、檜、千切り大根、ウェハース

甘辛度 中程度

具体的に感じた味わい

ふくよかで柔らかい飲み口、ふくらみがあり、滑らかな旨味が主体、後味はキレよく爽やか、スダチやスペアミント、クレソンを思わせる含み香

このお酒の特徴 ふくよかで滑らか、後味がキレよく爽やかな味わいの醇酒

4タイプ分類 醇酒

飲用したい温度 20℃前後、45℃前後

温度設定のポイント

20℃前後にて、ふくよかで滑らか、キレ良く爽やかな味わいを引き出す

45℃前後にて、まろやかな旨味とキレの良い味わいを引き出す

この日本酒に合わせてみたい食べ物

鯛の塩焼き、鯛の薄造り、桜鯛の天ぷら、鯛しゃぶ、鱧ちり、鱧の天ぷら、鏑の千枚漬け、ふろふき大根、きんぴらごぼう、レンコンの天ぷら、箱寿司、バッテラ、巻き寿司、たくあんの煮付、千切り大根、ゴマ団子、杏仁豆腐等

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?