ゆる研究計画
大学院を卒業してしまったので、勉強を続けるモチベーションとして、今後、「うた」(歌/詩)をきっかけとして、そこからゆるゆる自由研究していこうかなと思います。
noteの使い方どうしよかしらと悩んでたけど、これが一番良さそうかなー。あとは、純粋にもう合唱する機会が無い(涙)ので、愛の行き場を失ってしまったからです。
自分は、実はなんやかんや美術よりも長いこと「歌」を続けてきました。
中高大と部活をムキムキ頑張ってたので、10代の私の身体は、ほとんど歌うために作られてきたような気がします。
そのため、改めて表現の個人史を遡ってみると、やっぱりバックボーンは「合唱」という経験にかなり影響されていて、疑いようがないんじゃないかしら。
一般的に合唱のイメージとしては、「大地讃頌」とか、あとはポップスを合唱曲にアレンジしたもの、みたいなのが多いんじゃないかなと思います。
ただ、合唱界隈、コンクールとかになると「宗教曲」か「現代合唱曲」みたいなものがちょっと増えてきて、私はそれに結構毎回オオッて感動するんですよね。
ちゃんと調べるのはこれからなので、個人的見解であることを前提に読んでください。自分の興味のあるものについて、印象を整理します。
<宗教曲>
ラテン語の宗教音楽。バロック期以降、聖書の言葉を元にして作られた音楽だと思ってる。あとは日本語の宗教音楽。宗教というよりもアミニズム的、童うたとかが多い。クラシックとかに別に造詣深くないままの日本の中高生たちが、歌うのが好きってだけで「Ave Maria」とか「Dominus Deus」って歌ってるの謎い。
<現代曲>
現代詩に音が与えられているものが多い。メロディーやハーモニーが難解なものが多いような気がする。自分の中のイメージは武満徹。まどみちおと谷川俊太郎はスゲ〜っていつも感動してた。穂村弘とか銀色夏生とかも、ここから知る。
って感じに分けられるんじゃないかなと思います。
こんな感じで私は、ハーモニーと詩に興味持っていきました。
最近思うことは、自分の身体(声)がそのままメディウムになることで、自分は「うた」になれるんだわ、ということです。
絵画は運動の痕跡だから自分は絵画になれないけど、歌うことで自分は歌になれる。あとは、歌っている最中は全体を一望することが不可能だということ。(歌っている歌を聴くことは出来ない、出来るのは指揮者と観客)
4月からは社会人なので、無理のない程度で、でも勉強はしたいので、ゆる自由研究として続けていこうかと思います。絵も描きたい。生活もしたい。欲張りか。
本読んで、感想とか書く感じで、ゆるく!続けていきます。ゆる宣言。