すきな作曲家のはなし
中学生の頃、美術部に入るか音楽部(合唱)に入るか迷って、美術部の先生が怖そうだったから、合唱を始めました。実際は音楽の先生の方が何百倍も怖かったです。でもよき恩師で、練習中にぶっ倒れた時、めっちゃ叱られて、でもその後先生のお弁当を食べさせてくれました。人生でちゃんと叱られた経験はだいたい部活でした。
自分調べですが、中高生の合唱部というと、宗教音楽か、わらべ歌的なものか、現代日本語曲か、というイメージがあり、私もその辺りを色々歌いました。
その中でもラテン語の曲を歌う経験ってかなり妙で、貴重だったと思います。中高生が一生懸命ラテン語の発音を覚えて、禁欲的に宗教音楽を歌う。歌を歌いたかったはずが、気づいたら知らぬ時代の宗教音楽を歌っている。
疑いなくやってきたことに、妙なねじれがあるな、と改めて気づく事。梅津庸一の作品を知った時とか、荒木慎也の『石膏デッサンの100年』を教えてもらったときの感覚に近いです。
千原英喜という作曲家のことは高校生の時に知りました。日本でキリスト教が「邪宗」として扱われていた、秘密の感じ。独特の祈りの感じ、好きだなあと思っていました。
そして最近、それだけじゃないことを確信しました。この人、日本人がラテン語の宗教音楽を歌うことについて明らかに違和感を抱いている。だからこういう曲を書いている。
合唱という形式で、ラテン語の宗教音楽を歌っている。それなのに和服を着て、和太鼓を叩いている。わらべ唄的な手法も使ってる。なんだこのAKIRA感(語彙…)。
そしてこの曲を見つけたときは衝撃が走りました。
これはもう古代インド…こんなことまでやるんかい!とびっくりしてしまった。
パフォーマンス感がだいぶ強いのでステージが宇宙に見えてきました。めちゃくちゃリサーチして作ったんだろうな。
使命感で何か、やっているんだろうな。宗教と歌。ルーツを辿りながら音楽を作っている。かっこい〜。とか思いながら、宗教みが全然ない曲も好きなのでした。