過ぎし8月について
怒涛のようだった8月、何も書けずに過ぎていってしまいました。1ヶ月に一回更新の記録は失敗です。その日あったことをその日のうちに書くのは、下手みたいです。
文章の練習と、書くことで気づく余白に出会うこと、遊んだ思考を拾い上げること、それらを兼ねてやりたいのだけど、忘れてしまうと書けないですね。
今回は、さいきんお邪魔した展示について、項目書きにしてみます。時間を置いて書くと頭が整理されている代わりに、言葉の中に、感じたものの瑞々しさが失われていないか、少し不安になりますね。
・「屋外写生」
佐直麻里子さんの展示を見ました。小さな作品やドローイングを大胆にもばさばさと見せてもらいながら、「屋外写生」という言葉を本質的に捉えるために、いったいどのくらい手続きの段階があったのかな…などと考えたりました。造形的な展開が面白くて、もっと色々見たいなと思い、帰ってからホームページで過去作を拝見しました。見に行ったのは真夏日で、窓の外に緑が映えていたのが印象に残っています。ギャラリーの中の作品と外がすっと繋がるような、やわらかい爽やかさがただよう展示でした。
・「ストレンジャーによろしく」
全部は廻りきれませんでした。体力の問題。申し訳ないです。
もちろん個別の作品に感想はありますが、ひとまずは、散歩しながら作品を見ることができるのは、コンパクトな街ゆえできるものだと嬉しく思いました。一方で、片町の奥地、ビルのエレベーターの生々しさに、こんなに味が濃い町だったのかと気づいたり、アーティストが作品を発表することを生業にすることについて、ややじっとりと思いを馳せました。金沢の奥の奥へ入り込み、まちの細部を這うような気持ちになりながら見ていました。
・「上原勇希 研究発表展」
上原さんらしく、とても真面目で不思議な、妙な展示でした。個人が引き受けているルーツを丁寧に紐解いて拾い上げようとすると、やはりこんなに手続きが必要なんだ、と感じました。それが作品の複雑さに現れていて、シュールで(つまりありふれた表象などでは決してなくて)、質量があって、元気をいただきました。
それから本当は、愛知でやっている堀先輩の展示も、とってもとっても見に行きたかったのですが、感染状況を見て、今回は断念しました。作品も見たかったし、堀さんにも会いたかった。またいつか。落ち着ける日々ばかりではないけれど、どこにいっても知り合いがいるという事実は、自分にとっては、呼吸をしやすくしてくれるものでもあります。