近代 未完の台所(1)
女性建築家リホツキーが開発したフランクフルト・キュッへ(キッチン)。1927年に一般向けに展示され、現代のキッチンの原型とされています。
日本では、山田守の自邸のキッチンに影響が指摘されています。実際、山田はCIAMに参加するため、1929年にフランクフルトを訪れています。
フランクフルト・キッチンと山田守自邸のキッチン
(図版出典リンク:MAKおよびHouzz)
一方、アメリカでは、まったく異なる発想のキッチンが生まれていました。1890年のニューイングランド・キッチンです。
ニューイングランド・キッチンと協同家事
ニューイングランド・キッチンの開発者は、エレン・スワロウ・リチャーズ。女性としてはじめてMITに入学した人物でもあります。
ニュー・イングランドキッチン
(画像出典リンク:flickr)
科学室のように清潔で広々としたキッチン。リチャーズは、共働きの労働者に対して食事を提供する公共キッチンとして、このキッチンを発明し、運営しました。安価で栄養価の高いレシピを開発したことも重要です。
彼女のキッチンは、1893年にランフォード・キッチンとしてシカゴ万博に出展されたことで一躍有名になりました。この万博は、日本の出展した鳳凰殿をライトが訪れ、日本建築を知るきっかけになったことでも有名です。
現在のシェアキッチンや子ども食堂の歴史を考えていくとリチャーズに行き着くような気がしています。また彼女に影響を受けた女性たちのなかには、調理済み食品の配達サービスを始めるひとも現れます。家庭用キッチンではなく外食産業のキッチン、セントラルキッチンの原型として、リチャーズのニューイングランド・キッチンは受け継がれているのかもしれません。
リチャーズのキッチンには、メルシナ・フェイ・パースが考案した「協同家事」の血が流れています。協同家事は、主婦たちが集まって協力し家事を行うことで、負担を軽減するアイデアでした。ちなみに、彼女は、哲学者のチャールズ・サンダース・パースが最初に結婚した女性でもあります。プラグマティズムと協同家事になにか繋がりがあるとしたら……と妄想が膨らむところです。
協同家事のアイデアは広がり、エベネザー・ハワードが実現した最初の田園都市であるレッチワースにもその成果が見られます。実は、レッチワースのなかに、共同のキッチンと食堂があり、各住戸にキッチンのない集合住宅、ホームズガースが建設されているのです。
クリスティン・フレデリックからフランクフルト・キッチンへ
しかし、協同家事を進めていこうとする運動も1920年代に挫折します。彼女たちは共産主義者とレッテルを貼られ、赤狩りに巻き込まれることとなりました。
それに加担をしていたのが、クリスティン・フレデリック。彼女は、労働者の作業を合理化したテイラー主義を家事に応用したことで有名です。一方で、彼女は、女性は家庭のなかで家事に専念し、「ミセス・コンシューマー」になるべきだとしたのでした。
一方で、彼女の家事の合理化、人間工学的なアイデアは、ドイツにも影響を与えました。ブルーノ・タウトは、1924年に女性にむけた建築書『新しい住居:作り手としての女性』を出版しています。そのなかで、キッチンの動線を比較した図とともにフレデリックの名前が挙げられています。
ブルーノタウト・『新しい住居:作り手としての女性』
(画像出典リンク:DESIGN IS FINE. HISTORY IS MINE.)
そして、フレデリックのアイデアは、フランクフルト・キッチンの発明者、リホツキーにも影響を与えます。いくつか住戸面積に応じてバリエーションがありますが、最もコンパクトなタイプの寸法で 3.44m×1.87m のキッチンに行き着くわけです。
リホツキーは、1人の主婦が作業できる広さの空間に抑えることを重要と考えていました。次回、そのことについて書いていきたいと思います。
以下、参考文献。
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