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「ジャガタラいもか、カブラナか、身体にいいんだ、日本人」~神無月の旬エッセイ(2014年10月)

●ジャガイモさんは、安土城に織田信長が移ってきたなる、1576年に(!)

 インドネシアはジャワ島にある、ジャカルタから日本の長崎に、船でやって来たようです。👀
 当時は「南京芋」と呼ばれていたようで、アンデス産まれでナス科の植物
 ・・・ただ、当時はまだ食べるモノではなく、主な役目がまたもや観賞用だったとか・・・★ (゜-゜)

 ところで、そういえばジャガイモって日に当たると、表面が写真の如く、何だか緑色になっていきますよね。 
 「ジャガイモの芽」には、「ソラニン」なる毒があるのは、皆さまもご存知かと思いますが、緑化してしまうと、この毒性が実は暗躍(?)
 食べれば嘔吐や、頭痛まで引き起こす原因になるのだそう(!)
 ・・・そう考えてみると扱いが難しい分、ジャガイモさんというお方は、なかなか日本の皆さまには、馴染みにくかったのかも知れません。 (´_`。)

●さてそれから時代は移ろい、時代は江戸期へ。

 十一代将軍・家斉の時代に、蝦夷地を探索していた最上徳内というお人が、ロシア人からジャガイモをもらいます。
 ・・・もらいはしたんですが、まだなかなかに、口に運ぶまでには至りません★ (^_^;)

 この家斉という将軍、49年の間、江戸を治めているのですが、その最後の年に飢饉が訪れて、蘭学者の高野長英さんがその重い腰を上げて、・・・この事態を打開するべく(?)
 ・・・どちらも、寒冷痩せた土地でも育つ作物だからなのでしょうか。 
 
 救荒作物(!!)として、蕎麦と馬鈴薯(つまり、じゃがいも★)の栽培を奨励した「勧農二物考」という書物を記しました。 (゜-゜)
 ・・・ちなみに、ジャガイモが馬鈴薯と呼ばれるのは、その形が「馬につける鈴の形に似ていた」からだとも。 😅💦

●この高野長英さんはその後、日本の鎖国政策を解くよう尽力をしたそうなんですが、一歩及ばずで・・・この世を去ったとか。

 それからは、攘夷だ、倒幕だ、といった雰囲気が、否が応でも盛り上がっていく日本!
 十三代・家定の苦心も叶わず、老中が暗殺されてしまった「桜田門外の変」の翌年(!)
 貧民救済に力を尽くした岡田秋義という人が、「無水岡田開闢法」という書を記します。

 岡田氏は、東北から北海道を旅する内に、ジャガイモと遭遇(!)
 その栽培法はもちろん、ジャガイモは澱粉(でんぷん)になる事を知り、その製造法もそこで紹介をしました。 

 何しろ、イモのままであるよりも、デンプン・・・つまり粉にしてしまった方が保存性はもちろん、利便性も高まります♡ (〃∇〃)
 何よりジャガイモは、余り水利を必要としないので、原野でもよく育つんだそうです。
 これはいい・・・と行きたい処ですが、これがまたなかなかに、その願いは叶いません。 (´・ω・`)

 いよいよ倒幕の時期を迎えて、明治に入ると、それまで日本の国にはなかったモノがそこかしこに出没!
 千葉の辺りでは、初めて牛なんか飼い始めましただの、飲食店では牛鍋屋が大繁盛だのと洋食文化も徐々に始まり、時代はどんどんと移ろって明治4年になって、よ・う・や・く(!)
 今度はアメリカから持ち込まれ、現在の一大産地である北海道の地で、ジャガイモの試作がようやく、とうとうスタートをしたのでした。 ( ̄▽ ̄;)

●明治13年、フランスから取り寄せた馬鈴薯が福島の地で、大豊作だったとか。

 この頃から、さらにジャガイモの作付に拍車がかかり、明治18年、全国にまでも普及をしました♡
 この年、「再植馬鈴薯の記」なるパンフレットを東京の三田育種場で配布。
 ジャガイモの栽培の仕方はもちろん、調理法までを紹介した書物であったようです。 

 明治34年には、海軍の舞鶴鎮守府の初代長官である東郷平八郎さんが、イギリス留学中に食べたイモと肉のシチューを懐かしんでリクエストをしたですが、料理長がその料理を知らず!
 想像してできたのが、ウソかまことか、肉じゃがのレシピが誕生(!)と一説にあります。 (^▽^;)

 40年には、川田龍吉男爵が北海道にて、アメリカの「ジャガイモアイリッシュ・コブラー」なる、長ったらしい品種を輸入してきて、移植しました。
 私こと山野亜紀が愛する、男爵イモさんがいよいよ日本に登場しました! (^-^)

●さて時代は、大正に入ります。

 ジャガイモは「大正の3大洋食、とんかつ、カレーライス、コロッケ」の2品までも制したものの、軍国主義はさらにその影を落とし、米の代用としての力も盛んに求められるように

 昭和になり、どんどんとそれが勢い付いて、1940(昭和15)年には、食堂に「馬鈴薯と麦のカレー」なるメニューまで登場したとか★
 戦争が終わるまで増産を叫ばれ続け、米の代用食として務めを果たされ、戦後すぐには、人造米の材料にまでなりました。 (-“-)
 ・・・つくづく、その身の上話には泣かされます・・・★

●ちなみに、男爵イモと肩を並べる品種のメイクイーンは、1917(大正6)年に、イギリスからやって来ました。

 今もキタアカリなど、品種の増え続けるジャガイモさんですが、カリウムビタミンCを豊富に含んでいて、でんぷん質に守られているからこそ、そのビタミンCは加熱しても壊れないという優れモノなんです! (〃∇〃)

 ビタミンCには抗酸化作用に抗ガン化作用があり、免疫力を高め、粘膜を強くしてくれるので、ジャガイモを生のまま汁を絞って飲めば、胃潰瘍や十二指腸潰瘍、下痢にも効果があるそう(!)
 ちなみに含まれているカリウムには、アレルギーに効果もあるそうです♡ (^_^)/

●さてもう一つの旬食材、蕪に参りましょう。

 日本には、弥生時代には伝わっていたとされているカブですが、その名を「蕪菁(ぶせい)」とも称されていたとか。 👀
 古事記に、その名が載っているくらい、日本人との縁は古いみたいです。

 日本書紀の方では、「五穀の助け」にと栽培を奨励された(!)・・・何だかとっても 日本人とは、付き合いの長いお方なんです。 (^_^)v
 だからこそ、歌にも詠まれています♡
 万葉集には、蔓菁(あをな)と称され、平安時代になると、春の七草の一つとして数えられています。

●春の七草では、「スズナ」と呼ばれているカブですが★

 他にアオナカブラナと呼ばれていた古名はどうやら、昔は根の部分よりも、葉の部分を尊重していたからのよう。 👀
 漬け物にして良し、干しても良しで、冬に収穫できる作物なので、青い野菜が少なかった当時の事ですから、貴重な食べ物だったのでしょう。

 ちなみに日本には、「ヨーロッパ型の小蕪」 「アジア型の大蕪」が伝わったのだそうで、これがキレイに「関ヶ原(岐阜県)付近で、栽培がくっきりと分かれている(!)」んだそうです。 (^_^;)
 朝鮮半島から渡来したヨーロッパ型は、東日本に。
 中国経由で来たアジア型は、西日本に定着しました。

●さて蕪は、アブラナ科の植物です。

 これから様々な種類の蕪が、全国各地で改良をされていったそう。
 ・・・そういえば先月に旬食材で取り上げた小松菜も、アブラナ科でしたよね♡

 カブを、「ククタチナ(茎立ちして、葉を茂らせる)」に改良したのが小松菜(!)で。
 ・・・そういえば、このように土地土地で改良されたカブが例えば、新潟県の野沢菜であったり、福島は信夫菜だったりするんですが、こんな風に、葉っぱだけ食べてるカブの仲間って、今も多くありますよねぇ・・・。
 なので、「古来から葉の部分を尊重していた」というのも、しみじみ頷けます。 (゜-゜)

●さて、その栄養はといえば、大根と同じく(!)

 カブも、の部分は淡色野菜で、の部分は緑黄色野菜と分かれるんだそうですが★
 根には、でんぷんの消化を助けるアミラーゼという酵素が多く含まれているので、カブを食べれば消化を促進!
 胃炎や胸やけにも良く、カブの煮物は「胃を刺激しない」ので、胃潰瘍の療養食にも使われているんだとか。 👀
 さて、先ほどから「葉の部分」をものすごく強調してますが、ハッキリ言って、根より葉の方が効能が高いんです(!)

 カロテンにビタミンB2、Cにカルシウム、鉄などを含んでいるので、骨粗鬆症予防に免疫力強化に役立ちますし、根も葉も共に、「グレコシアネート」という成分を含んでいて、他のどの野菜と比べてもこれが、カブの葉に一番多く含まれていて、これには抗ガン化作用のパワーもあるんです(!)
 葉酸も含んでいるので、貧血予防にも効果的です。

 二日酔いの時には、カブの葉に米を少し入れて煮ると、その汁には、だるさなんかを和らげる効果があるのだとか。 (゜-゜)

 どちらかというと生食がおススメなカブですが、下拵えで「塩で強く揉んだ」り、「酢に付けたり」すると、せっかくの酵素が減ってしまいます★
 なので、即席漬けにするなら、あんまり強く揉まないで作った方が良いそうですよ♡

 生で食べれば、弱った胃に力を与えてくれて、食べ過ぎや胸やけに効果があります♡
 ビタミンCを含んでいるので、風邪の予防にも効果あり。 (〃∇〃)
 煮て食べれば、今度は胃腸を温めて下さいますし、冷えから来る腹痛を予防して下さいます。
 天候と気温の変わりやすいこの時期、この方たちにぜひ助けて戴きましょう♡ (^_^)/
 (2014.10.1 文責・山野亜紀)

〇2014年10月のお膳
「和心きらり(http://wagokoro-kirari.tokyo/)」より転載
  ・・・700以上のレシピ・旬エッセイ・ブログを現在、移築中。😅


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