「記憶の遺伝」
「記憶の遺伝」を、あなたは持っていますか?
●私こと山野亜紀は、そんな事を今まで考えた事もありませんでした。
よくスピリチュアルな人達が、「それは過去世だ」とか。
色々な形で口にされているようですが、私にはどうもピンと来ません。
ところが2023年4月より、アニメ・鬼滅の刃「刀鍛冶の里編」が始まりました。
私は、「丹治郎・立志編」が放送終了して1年ほどしてから、この作品を知りました。
人の勧めがあったのと、コロナで時間もあったので、Amazonプライムと電子書籍で一通り原作を読みました。
殺陣師目線で観ていたので、特にアニメでは刀捌きや体術が、私には気になるようでした。
「けっこう忠実に描いているな」と思う部分と。
「いや、これはどうだろう」と思える部分がありましたが後日、このアニメの主題歌を手掛ける声優さんと知り合い、このアニメにはしっかりとした武術指導の方がいると聞きました。
なるほどな、と思ったのを覚えています。
●さてこの4月から始まったアニメ「刀鍛冶の里編」を観ていて突然、それまで全く気にならなかったのに。
いやに頭に残る台詞が現れました。
それが「記憶の遺伝」です。
・・・コミックなら3年くらい前にはもう、とっくに読了してますし、アニメはこの4月からの放送です。
気になるくらいなら、もうとっくになっていてもいいんじゃないのかな・・・。( ̄_ ̄ i)
そう。
主役の丹治郎が「夢で見て、知っていると記憶したモノ」を、刀鍛冶の里の悪舌・小鉄くんが、
「それは、記憶の遺伝ではないでしょうか」
と言った、あれなんですね。
●ところで私こと、山野亜紀なんですが。
実は人生で20年以上、真剣を握っている人間です。
・・・というのは、真剣で試斬演武をするような人間だからです。 👀
昨今、試斬体験ができる場も増え、海外の方にも体験をさせているようですが、私もそんなワークショップを今は亡き師匠、殺陣師の林邦朗先生と8年も行っていました。
2008年から、師匠が亡くなる翌年までです。
●さてこの私が、何故試斬を始めたのかと言えば。
この今は亡き殺陣の師匠が、真剣試斬を取り入れたショーを多く披露していた人だったから。 ( ̄_ ̄ i)
真剣試斬演武をする人は多くとも、薙刀での演武は少ないので、特に私は師匠より「薙刀演武を、強く鍛錬するよう」乞われ、その折の演武の様子をYouTubeでも、今も流しています。
・・・私が、そんな人間だからか。
「山野亜紀には、どこか特別な感覚があるんじゃないか」
と錯覚する人もいたり。
またよく、
「山野のご先祖様は、武士ではなかったのか」
とも聞かれます。 👀
●ご先祖の話については、東京で生まれて育った私には両親より、余り伝えられていません。
ですが両親が亡くなり、兄が病を得た折に気になる事があり、独りで私は、今は亡き父方の方のお墓参り(山形県)に行ってみると、たまたま。
お寺のご住職がおられたので、少しお話をする事が出来ました。
・・・父が亡くなって20年以上も経つと、父の兄弟も数が減っていますから、母が亡くなってしまえば親戚付き合いもどんどんと疎遠になり、私に「ご先祖さまの話」をしてくれる人はいません。
・・・それまでは、いる事はいてもこれまた、余りにもネィティブな山形弁だったので、私たち兄妹はさっぱり読解できずにいたんです。 😅💦
●和尚さまは、私には分かりやすい言葉で丁寧にお話して下さいました。
私の父方のご先祖は、細川家の家臣で、九州から殿様と共に最上にやって来た、との事です。👀
これまで自分の先祖は、ずっと百姓だと思っていたのに、と私が言いますと、
「それは明治維新以降の話で、維新の後のこの辺りの武士は、もう百姓になるしか道がなかったから」
とのお話でした。
●こんな話をしていると、私の「記憶の遺伝」がどうもやっぱり「刀絡み」ではないのか。
お察し下さる方も、おられるのではないでしょうか。
武士で「刀絡み」と来るとどうも、アレを想像される方もおられると思いますが・・・。😅💦
それではなくて、ある体に遺る感覚と、とある感情であったように思います。
この話は、その2に続きます。