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第21話「伊勢旅行と、おめでた事☆」(2015年2月)

●2015年も、2月に入ってすぐに節分。

 豆まきやら、イワシを食べたりの行事はされましたか?
 ・・・なんて言いながら、今年は結局、セブンイレブンが熱を入れている恵方巻きにも、何の行事にも手を出さずに済ませてしまった・・・私こと山野亜紀です★ (^_^;)

 昨年末に引いた風邪が、今も完全には治まらず。
 ・・・それでも、寝たり起きたりしながら仕事をしていたんですがそんな折、井田先生が昨年手掛けたMOOK「野菜スムージー&スープレシピ120」という本が、なんと(!)
グルマン世界料理本大賞に、選ばれたと聞いたのですっ!

●・・・ところで、MOOKって何?

 調べてみると、書籍と雑誌を兼ね備えた書物のことだそう。 
 昨年は、・・・今もまだ続いていると思いますが、そういえば、けっこうなスムージー流行りでしたよね。

「野菜はたっぷりと摂りたいけど、なかなか調理して食べるのは困難。ところが、スムージーなら手軽でカンタン!」
 野菜や果物を併せて、ジューサーミキサーなどにかけて作るスムージー。
 生の食品から得る酵素が、美容にはもちろん、健康にも良いと大評判(!)

●残念ながら、私はまだ手掛けていませんが★

 芸能人がレシピをテレビで紹介していたり、さまざまなスムージーの紹介本も昨年は出版されていたみたいなんですが★
  ・・・もともと「スムージーレシピ100」なる本が出版されていたそうなんですが、それを超える「レシピ120本」を出版しよう(!)という運びになったそう。 

 ちなみに、「グルマン世界料理本大賞」とは一体、どのような代物なのでしょうか。
 調べてみますと、1995年にオレンジ系のリキュールの製造・販売を始めたというフランスのコアントロー家の一族、エドゥアール・コアントロー氏が設立した「世界唯一の料理本の賞」なんだそう。 
 ちなみに、この方の弟さんはフランス料理の名門料理学校「ル・コルドン・ブルー」のオーナーなんだそうで、こちらの学校は世界各地にあり、日本にも代官山や神戸にあるんだとか。 

●この本のコンセプトといえば、

  毎年、その年に発行された「世界中の、40言語を超える料理本の中から厳選(!)」
 「料理本のアカデミー賞」とも呼ばれているそうですが、その賞の本位は、「料理を言葉で表現する」人々へ褒章と名誉を与えることにあるのだそう。 
 毎年、それぞれが「昨年1年間に、新規出版された料理書を以て、エントリー」して、審査に当たって戴くんだそう。

 井田先生がレシピ提供されたその本は、真空式ミキサーや石臼式ミキサー、加熱式ミキサーの他、ハンドブレンダーなどなど。
 今、注目の「器具の特徴を活かしての、スムージーとスープのレシピ紹介」が目玉となっています。
 カロリー表示式で、色々と作れて、しかも材料にムダがない(!)
 ・・・そこが自慢のレシピブックなんだそうです。 (〃∇〃)

●・・・はてさて。

 井田千春先生が、輝ける活躍をされている間に、私は一体、何をしていたのでしょうか★
 私は実の兄と毎年、実家の会社の社員旅行と称して旅に行っております。 
 2014年の大河ドラマは「軍師官兵衛」でしたから、その辺りをぶらついてみようかという話になりました♡

 そういえば・・・今までには琵琶湖の辺りだとか。
 愛知辺りは、余り足を運んでいなかった感が。

 せっかく、私こと山野亜紀は、林邦史朗先生の下で武劇で忍者の殺陣とかもしているんだし。 
 「一度、忍びの里に行く」のも良いかなぁと、そんな感じで2泊3日の旅が決まりました。

 ちなみに、そんな時に何故か、以前に取材を受けていた読売新聞の川越版で、林先生の記事の掲載が決まりました。
 広報担当と言う事で、殺陣の稽古やWSの問い合わせの電話が舞い込む中での、旅行出発と相成りました。

●朝の10時に、東京駅を出発。

 名古屋に到着し、昼食は名物の味噌煮込みうどんにするか、櫃まぶしにするかで悩みましたが、専門店は丁度御昼時でスゴイ(!)行列が出来ていたので、
「両方食べられるお店が、良いよね」
 という訳で、一応はどうも、ふぐ料理が売りのような「お食事処ゆうふく」にて、名古屋飯を堪能させて戴きました。

 それから、私は初体験の近鉄線に乗りこんでの、桑名まで移動。
 桑名ステーションホテルに荷物をおろし、夜のイルミネーションが美しいという長島リゾートへと移動しました♡

●長島リゾート「なばなの里」は、長良川河口堰近くにあります。

「そういえば、マンガ美味しんぼの海原雄山が、この河口堰が出来ると長良川名物のシジミの生息が出来なくなるとか言って、怒ってたよねぇ」
 ・・・塩害を防ぐ目的で作られた河口堰は、移動中のバスの窓から見えるだけですが、観光客の目には今一つ美しくは映りません★ (T ^ T)

 さて、「なばなの里」に入るにはもちろん入場料が掛かりますが、千円の金券が付いてきました♡
 併設施設で、この金券が使えます。 (〃∇〃)
 早めに移動をしていたので、夜のイルミネーションが映える時間まで、併設しているベゴニアガーデンを眺めたり。 👀

 木曜日だったために、ものすごく空いていた日帰り温泉の「里の湯」を楽しんでいたら、お時間は丁度頃合い♡
 いよいよ・・・メインのウィンターイルミネーションを眺める事にしました。 (^_^)/

 昨今はLEDのおかげか、少ないエネルギーで夜景が景色豊かに楽しめるご時世に。
「・・・お金かかってますねぇ~」
「やるなら、ここまでやらないとね」
 なんて語りながら、B級グルメの「しじみコロッケ」を齧りつつ桑名まで戻り、
「この店のハマグリは、桑名産かな~・・・」
「絶対に違うと思うけど、いいじゃないの、そう思って楽しめば」
などと語りつつ、名物の焼きハマグリなどを楽しみました。

 そういえば、お店を探しで歩いていた「桑名一番街」と「桑名銀座通り」なんですが、余りの寂しい(シャッター街)な様子に兄妹2人で、号泣しそうになりました。 (^^;;

 ・・・後でよくよく人様に聞いてみますと、私達が歩いていたのは夜の10時近くだったんですが、この辺りのお店は、8時くらいで終わってしまっていたんだそう。
 メインストリートになる桑名モール「寺町通り」は結局、行けず終いなのが残念でした★

●翌日は、またも近鉄線から伊賀鉄道に乗り換えて、生憎の雨の中を別名、白鳳城と呼ばれる伊賀上野城や。

 忍び屋敷などのからくりが見られる、伊賀流忍者博物館などを巡りました。 
 伊賀上野城は、「豊臣秀頼を見張る為に、藤堂高虎が手を入れた」というお城で、その敵の侵入を防ぐ高虎が手掛けた、自慢の高石垣が名物(!)なんですが★

 結局このお城は、災害に見舞われた事はあっても、戦火に巻かれる事はありませんでした。
 後年、天災で失われたままになっていた天守閣は、衆議院議員を務めた土地の名士・川崎克氏によって昭和10年に復興されて、今の姿になったのだそうです。

 ところでこの伊賀の地は、なんと(!)
 俳諧の巨匠・松尾芭蕉の産まれ育った土地だとか。 
 芭蕉が産まれたという「芭蕉翁生家」も訪ねてみました。
 ・・・ちなみに、忍者装束がレンタルできる「プチ忍者変身処」なる施設もありましたが、私はパス。 (^_^;)

 ところで伊賀鉄道では、松本零士が手掛けた「忍者列車」が数種類走っていて、それに乗れるんですが、往復共に何故か「ピンク色の、くの一列車」に当たってしまいました。 (^◇^;)

●さて、この晩は宿の舟で渡鹿野島(わたかのしま)へ渡り、「風待ちの港 福寿荘」に宿泊をしました。

 何でもこの辺りは、お江戸の頃には海運がたいそうに盛んだったとか。
 菱垣廻船や樽廻船の荷はもちろん、人も安全に、素早く運ぶ為にも当時は、「良い風を待つ必要があった」そう。
 もちろん、台風などの災害から身を隠す場でもありました。
 河川にもそういった場所はありましたし、港にも そうした「風待ち場」が多くあったそうで、「良い風を待つ間は」というと、船人達にとっては退屈な空き時間・・・★

 なので、その隙間を埋めるべく(!)
 島の海女さんが船人の世話をしたり、一夜を共にしたりといったもてなしをしたそうなんですが。
 それは昭和の赤線(売春)禁止までその風情は続いていて、遊郭もけっこうにあったそう。 👀

●そんな渡鹿野島は、的矢かきに伊勢海老にと、海鮮三昧(!)

 やっぱり、お正月の旅行はこうでなくちゃねといった感のある、旅でした。
 温泉は気持ちいいし、言う事なしだったんですが、寒かったのには閉口しました。 💦

 ・・・ついつい関東人は、南に行くと思うと「暖かいだろう(!)」と妄想してしまうんですが、今回ばかりは、そうもいかず★
 最終日は志摩の灯台に登ったりもしましたから、もう少し着込んでいかないと、寒さで死ぬ・・・。
 そんな事が身に染みた・・・お正月の事の出来事でございました。 (^^;;
 (2015.2.1 文責・山野亜紀)

〇2015年2月のお膳
「和心きらり(http://wagokoro-kirari.tokyo/)」より転載
  ・・・700以上のレシピ・旬エッセイ・ブログを現在、移築中。😅

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