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第23話 「祝・80周年!」(2015年4月)
●3月31日に、大変ご近所さんではありますが「念願の(!)引っ越し」を達成~☆
・・・色々、色々ありましたが、無事に身の丈に合った物件を発見致しましたっ! (^_^)v
今回は、「初めての、引越業者にお願いして」の引越。
洗濯機は屋内になりましたが、フルリフォーム物件に引っ越して参りましたっ!
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・・・とはいうものの、ネットが1週間使えず★
4年前の引越の折には、「311の傷跡深い、4月の5日に引越」をして来ました。
その折には、ずいぶん色々なモノを買ったりしたので当時は、
「311で苦しむ日本財政に、私はこんなに貢献している・・・♡」
な~んて叫んでましたが、今回はそれほど散財する事なく、引っ越す事が出来ました。 ( ´ ▽ ` )ノ
●ところで、タイトルを見て皆さん。
「どこが80周年なの・・・?」
と、悩まれている事でしょう。 😅💦
実は、私こと山野亜紀の実家の会社が、なんです。 (^_^;)
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実家の会社って創業から数えると、今年の4月1日で、80周年にあたるんだそう(!)
そんな訳で今回は、ウチの80年の会社史にお付き合い戴けたらと存じます。
●さて一口に80年前といっても、その頃の日本は一体、どんな時代だったのでしょうか。
昭和10(1935)年といえば、「日本の国は、天皇が統治するなる声明」が発表されました。
自由な言論が咎められ、軍国主義がいや増す時代へ。
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・・・当時は丹那トンネルが開通して、伊豆や熱海の温泉が大賑わい♡
忠犬ハチ公が亡くなったり、風呂付特急「富士(!)」なんていう、今となっては何だか良く判らない列車が、初登場したりしていました。
●ところで、当時の物価はと言えば★
たばこ(ゴールデンパット)が7銭、新聞購読が月で90銭(2015年4月現在では、読売では4千円程度★)、白米が10キロで2円50銭だったそう。
「二人は若い」なる歌が流行ったり。
人気映画といえば、「エノケンの近藤勇」や「忠次売り出す(伊丹万作脚本・監督で、初のトーキー映画)で、出演は市川朝太郎や月形龍之介・・・などなど★
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そんな時代に・・・鳥取県は、呉服商の息子だったという創業者の大塚達郎氏が、何を思い立ってか、初の上京(!)
まずは出版社の広告部門に就職し、やがて広告代理店として独立を果たしたという次第です。
初めての開業場所は、日本橋は室町でありました。 (゜-゜)
●当時のマスコミは、一般の企業の出入りを制限する風習がありました。
これは、「雑誌販売の、副収入である広告」は入れたい処だけれど、そちこちの企業と、直接の遣り取りというのはやりたくない★
そんな事から、広告代理店という仲介業が発達しました。
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・・・そうはいっても、
「ウチの雑誌は売れているから、広告なんか必要ないっ!」
という、プライドの高い出版社も数多くありました。
なので当時の広告代理店は、とにかく認知度の低い零細企業(!)
だいぶ「バカにされている、職種の一つ」だったようです。 👀
なので、広告を掲載した雑誌を渡したり、集金に行ったりとした営業業務の時にも。
・・・そこは、キチンとした企業なら堂々と(!)表玄関から入室が許されるモノなのに。
まるで「サザエさんの家に出入りする、御用聞きの三河屋さん」のように、「勝手口から入ってくれ」、と言われる事も多くあったのだとか★ 😅💦
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・・・今でこそ、広告代理店といえば有名な処では、「電通」や「博報堂」などなど。
ピッカピカの企業で、「一流大学の卒業者で、就職希望者が殺到(!)」する会社なんですが、当時はこれらの会社も、まだまだペーペーな時代でした。
●・・・はてさて。
それから先の日本は、どんどんと軍国色が強まっていき、この会社も存続の危機にさらされていきます。
昭和10年代は、「太平洋戦争」が活発化。
マスコミは、完全戦時統制下に追い込まれ、例の「東京大空襲」では社屋も焼け落ち、命からがらな時もあったようです。
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・・・さて、ようやく終戦を迎えた昭和20(1945)年。
なんとか命を長らえた大塚氏は、会社の再生に努め、1956(昭和31)年になって、まずは形態を合資会社に。
1960(昭和35)年にはようやく、株式会社にまで組織変更に。
場所も千代田区三崎町に移り、大塚氏は代表取締役に就任しました。
●さて、当時の私の父(2代目社長)は一体、どうしていたかと申せば★
父の生家は、山形県は最上郡で、よくある話なんですが、農家の10人兄弟(!)
しかも男兄弟では末っ子、下から2番目という家族構成でした。 😅💦
・・・勉学が大好きな人だったのですが、とにかく当時の農家では、
「百姓やるのに、勉強はいらんっ!!」
という、時代でした★
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なので、どうにか苦労をして入った大学も、結局は経済上の理由で、やむなく中退(!)
「アルバイトに追われての生活」をずい分したそうなんですが、今では失われてしまいましたが、ようやく桃園書房という出版社に就職ができたんですが、時代が時代(!)
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リストラの憂き目に遭って、当時は2名いた広告社員を1名に減らす運びに★
・・・もう1名の方が、私の父より年上で、先輩で家庭持ちでした。
その方を思って、自ら希望退職をしたのだと、父から聞いた事があります。 👀
●そして二転三転してから、父は今の会社に就職。
それからは、さまざまなブームと共に、私の父は生きてきました。
ちなみに下の写真は、当時の社員旅行の様子なんですが、私の父は一番後ろの真ん中の人です。
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当時の広告というのは、何と言っても、雑誌や新聞の通販広告が全盛の時代でした。
・・・古切手が流行ったり、プラモデルが流行ったり。
今でいう「結婚紹介」や「恋人紹介」なんて広告もありました。
●また、面白い処では。
茨城県水戸市に、私こと山野亜紀なんかが、
「絶対に、水戸黄門の印籠の中に入っていた薬に、違いないっ!!」
・・・と踏んでいる、由緒正しき漢方薬「司命丸」を製造販売する司命堂製薬所とは、ホントに長らく取引があったのですが、2015年の社長・高倉伴介氏は、7代目に当たるとか★
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藤原鎌足に由来する家柄で、土地では知らない者はいないという水戸の名家・高倉家。
・・・江戸は寛政年間に、高倉新五右衛門(初代伴介)さんが将軍家御殿医の鈴木賜谷に弟子入りして、直々に秘伝を授与(!)
以来、「水戸」の名士として名を連ねる歴史が始まり、いよいよ2015年の大河ドラマ「花燃ゆ(つまり幕末★)」の時代では、尊王攘夷を唱える「天狗党」が水戸で結成(!)
高倉家は、幕末運動の一環といわれる「回天運動」にも、出資をされていたとか。
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それでも皆さまご存知の通り、最後には幕府に天狗党は処刑されてしまい・・・。
その勤皇の志士を祀る「回天神社」の建設にも、七代目高倉氏は貢献されたんだそうです。 👀
また築200年にもなるという建物は「県文化財にしては」という声もあったそうですが、実際に住んでいる家なので断ったとも。(2015年4月現在★)
●ところが今は薬事法改正で、こういった昔ながらの漢方薬屋さんの営業は、難しくなってしまいました。
「臨床試験など、潜りぬけた商品」は大丈夫なんですが。
・・・こういった漢方薬は、確かに、長らく日本人に愛され、健康を守ってきた商品のハズなのに製造がもう難しくなってしまい、今では健康相談所として活動を続けているんだそうです。
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また、今で言う「健康枕」などの商品を自社開発して販売していた、マグネロン本舗の小野田辰郎氏とか。
今では製造販売元が変ってはしまいましたが「ぜんそく散」や「筑波山名物・陣中油(・・・つまり、ガマの油★)」という漢方を自家製造している種村製薬さんとか。
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今振り返れば、何しろ・・・私こと山野亜紀は、小学生の時からこの会社でアルバイトをしていたので★
想い出深い方が、多くいらっしゃいます。
●また、こんな方もいらっしゃいました。 (^_^;)
ある時、94歳の高齢ながら、東京の医薬学会に顔を出されたついでに、当時は水道橋にあった会社に足を運んで下さった、とある製薬会社の社長さん★
判れ際に何故か、小さな紙切れを下さいます。
・・・そこには、「女性モトム。身ノ世話ヲシテクレル方。」と、書かれていたんです・・・★ (^▽^;)
もちろん、お仕事の話はその時していたのですが、とにかく耳が遠くて、会話は大変★
でも、なんとなく楽しいお爺さんだったと記憶しています・・・。
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こちらの方、最初の奥さまが亡くなった後で、なんと碁会所で若い女性と仲良くなられたのだとか。
90才の時には、その方ご自身が交通事故に遭われたんだそうですが、その時にもとても献身的に世話をしてくれた女性だったそうですが、悲しい事にガンで先に亡くなってしまわれたとか・・・。
その後は、かのお方は98才でこの世を去るまで(!)
新しい女性と知り合い、楽しい時を過ごせるようにと願って(叶わなかったけれども)生きておられたんだそうです。
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・・・最後まで現役社長であられ、仕事はもちろんされておられましたが。
お茶を飲んだり、ご飯を食べたりして、楽しい時を共に過ごすパートナーがいてくれたらという・・・その願い。
「最後のその一瞬まで、元気に生きる事をモットー♡」とする、このまた我が身も、その生き方には共鳴してしまう・・・私こと、山野亜紀なのであります・・・★
●ところでこの他に、健康器具の会社ともお付き合いがありました。
鉄工場の運営が危うくなった折に、その鉄を使っての「バーベルや、ダンベルなどの製造販売」を始めた会社でしたが、当時はライバル会社もまだなかったので、一気に形勢を盛り返せたと聞きます。 👀
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漫画雑誌や健康雑誌に広告を載せているせいか、そこからヒントを得た商品も少なくないのだとか★
「鉄の爪をイメージしての、イーグルキャッチャー」や、ぴょんぴょんおじさんこと、ドクター中松が流行る前から、ジャンピング・シューズなども販売していたんだそうです。
●また「柔道一直線」で、主人公が履いていた鉄下駄やら、アイアンシューズなども再現。
漫画「リングにかけろ」で使われたとされるパワーリストや、「巨人の星」で大リーグ養成ギプスにヒントを得たというスナッパーマシンや鉄扇、ブルースリーのヌンチャク・・・などなど★
今では通販もほとんどが紙ではなくって、ネットの時代になりましたよね。 (^_^;)
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父が代表取締役になった当時(1967年)は、社員がいた時期もありましたがその後、1人での経営に切り替わり★
・・・そして1981年、父が死亡退任をしたので急遽、別会社に就職する予定であった兄がが跡を継ぐ事となり、今は亡き母の容体の変化に伴い、2001年には社屋を移転。
定款に手を加えるなどして、新しいスタートを切りました。
●そして2005年に、会社の事業の一つとして窓口を作り、「オフィス・リバティ」と名付けました。
私こと山野亜紀が、何らかの活動をする場合に、何か名前があった方が良いだろうと考えたのですが、リバティからは殺陣教育DVDや動画販売、グッズ販売も始まって、このHPも始まりました。
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そんなこんなで、80周年です。
あと20年頑張れるか判りませんが、一歩一歩、歩んでいきたいと思っております。
ここまで読んで戴けた皆さま、ありがとうございました。
これからも楽しんで戴けたら幸いです。
※80周年を記念して、2015年4月はクオカードを作成・プレゼントキャンペーンもしてました。(もちろん終了) 😅💦
(2015.4.1 文責・山野亜紀)
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〇2015年4月のお膳
※「和心きらり(http://wagokoro-kirari.tokyo/)」より転載
・・・700以上のレシピ・旬エッセイ・ブログを現在、移築中。😅