人間宇宙の蛍
拝啓
封筒は、あと21通分になりました。
ギターが上手じゃないからでしょう。
今日だけでも50回以上弾き直して、左手のひと差し指に、水ぶくれが出来ました。上手じゃなくて、思ったようにならないから、仕方がないのです。(上手じゃないけど、聴いて楽しくない音ではないと思いますよ)
信号の来ない世界というものを、ずっと実感していました。
もう長いこと、信号を発している人間が自分しかいないような、発したら逃げられてしまうような、わたしにはこの世が、そんな風に映っていました。
宇宙に放り出されたようになってから遠くでちかちか光っている命の光を見掛けるようになり、わたしは遠くに光が見えるだけでもありがたかったんですよ。
今日は少し背筋がぞわぞわするくらい寒い日でした。
暗くても、光のほうへ光のほうへ、自分から進もうと思ったのは、誰かが生きてることだけは本当だと感じたからです。
これは独り言ではなくて、たしかに言おうとしている言葉です。
いつも正座して書いていて、このくらい書いている頃は、足の裏がお尻の重圧で痛いです。痺れる前にいつも足の裏が先に「無理!」と言い出すので、正座をするときは、足の裏がつぶれないように、気を付けてあげてください。
あなたはその光を、受け取ってもらう必要がある。
閉じ込められないで光を、いろんなところで発する必要がある。
受け取ってもらうために、もっと体や魂を燃やして疲れるけれど、そのとき光って信号になっている。
淋しがっても良いと思う。
わたしは人がいると、嬉しいです。わたしが消えた後だって、光を求めている人は必ずいる。
草々不備
令和4年2月6日 日曜日付
Y.J
11.729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす
難しいです……。