#11|空音央『HAPPYEND』みた|2024.10.10
空音央『HAPPYEND』
シネ・リーブル神戸でみた。
作中だとたぶん東京が舞台の設定だが、撮影の大半は神戸で行なわれたらしい。たとえば、主人公のひとり・ユウタが、自分たちの遊び場の「クラブ」(という名の廃墟っぽいところ)まで、盗み出したウーファーを台車で運ぶ道は、あまりにも見慣れた場所で、神戸に住んでて良かった系映画がまた増えた。
もちろん、そのひとつは、本作のタイトルと確実に響きあう濱口竜介の映画『ハッピーアワー』だ。
あの『ハッピーアワー』から約10年、合間にコロナ禍を挟んで「新世代」の監督が、いま世に問うたのがこのような映画であったことは記憶しておきたい。
本作は言うなれば、「ディストピア青春不良映画」である。
近未来、20XX年の日本で、卒業を控える、5人の(性別やルーツもちがう)高校生グループを中心に話は進む。彼らが学校に忍び込み、行なったあるイタズラがきっかけで、その高校にAIによる監視システムが導入される。問題行動が検知されると減点され、ペナルティを課されるのだ。これを契機に、韓国がルーツのコウは、社会的問題に関心を持ち始め、ただ楽しく音楽をやりたいユウタとの関係は変化する……。
幼少期からともに育った友人との、文化資本や人種的背景の差を知り、政治や社会に「なんか違うかも」という違和感、いわば最初の「政治感情」を抱くこと。あるいはそれに伴い「でも、急に政治の話をするのは恥ずかしい」的な羞恥をおぼえること。たとえばこれまで、恋愛を含む「性の芽生え」を描く「青春映画」がある程度主流だったとして、本作は、成熟による「政治性の芽生え」が生む葛藤を描くという点で、きわめて現代的なアングルの「青春映画」である。
映画の中盤、コウが新たに知り合った活動家の仲間たちと、岡林信康「くそくらえ節」を口ずさむシーンがある。
いまの自分のフィーリングとも合致してるからか、ふつうにたまに口ずさんでる。
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