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百年前の草刈りを妄想してみた。
九州チェーンのディスカウントストア『トライアル』に行ったら、入り口付近に除草剤が高く積まれていた。
「根まで枯らしてよく効きます!ラウンドアップの使用方法が分からない方は、店員にお尋ねください♬」と、店内CMが流れるほどの大プッシュぶり。
除草剤の有害性は、気になっている人はすでに自分で調べていると思うのであえて触れない。
こんな、先祖伝来の土地を汚してまで草を枯らしたいと思う執念は本当に凄まじいものがある。
しかし、その「草憎し!」も先祖伝来の観念なのだろうか。
例えば、こんなに舗装されてる道路が無い百年前は草だらけの場所が相対的に多かっただろうからもっとメリハリをつけて草刈りをしていたんじゃないだろうか。
家財であり商売道具の田畑の周り、家屋の周りなどは気合いを入れて草刈りをしただろう。(現在と同じ。)
あとは用水路の近く、集落を通る道筋などの公共の場も集落で管理したしただろう。
刈った草は現在ではゴミにすることが多いが、畑にすき込んで堆肥にしたり燃やした灰を利用したりしたに違いない。
峠や集落の境目には牛馬を繋ぐ場所があって、草を食むことが出来るようにあまり草は刈らずにそのままにしていたかも知れない。
車はガソリンスタンドでの給油が必要だが、牛馬であれば新鮮な水と草があれば連続航行可能だ。
もしかしたら、そんなガソリンスタンド的な草場を設けていたかも知れない。
私が子供の頃、キャンプや遠足など自然の中に行くと「おトイレは草場にそっとしてきなさい。」と言う大人も多かった。
都会育ちで草場のイメージがあんまりなくピンとこなかったが、昔はそういう意図的に残された草場があって公衆トイレの役割を果たしていたのかも。
もし、沿道が草もなく丸坊主だったら旅人は用を足すこともままならなかったかも知れない。(知らない土地の藪に入ったりするは不用心だし盗人に間違われる可能もある。)
そんな風にして草が必要な場所と、不必要な場所をメリハリをつけて利用していたんじゃないかと思う。
これらは、みんな私の憶測(妄想)だが
草を仇にしないで、なんとか利用出来ないものだろうか。
草とどう生きるか、もとい
草の中でどう生きるかの問いは続きそうだ。
↓悩める草シリーズ。良かったら御一読ください。
https://note.mu/tatarakomachi/n/n9cfe372b9031