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どこまでも続く白ねぎ畑。

国東半島の西側、豊後高田市の沿岸はかなり大規模に干拓されそれは広い白ねぎ畑が広がっている。

かなり大規模に営んでいる白ねぎ農家が多く『白ねぎ御殿』などと言われる、立派な邸宅が並ぶ。

辺りは常にねぎの香りが漂っているが、住んでいるとだんだん分からなくなるらしい。

広島などから農家の二男三男を募り、入植者で干拓地を開発していったのだという。

この地区は「呉崎」という名前だが、それも広島の「呉」にちなんで付けられたものだという。

今も、立派な記念碑が建っている。

跡継ぎではなく故郷を離れた人たちが耕したり切り拓いた土地も含めて、現在の日本の国土なんだなあ

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